POSITISM

適度に適当に。

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スラッシュ/ゲーム - /57 -


ハコニワノベル

「じゅじゅさん、残念なお知らせがあるんですよ」
「なんだ?」
「実はですね、誰も逃げていないんです」
「なんでだよ! ?」
「正確に言うとですね、逃げられないんです」
「あぁん? それはどういう意味だよ」
「見えない壁みたいなもので、全員が中央広場に閉じ込められてるんですよ」
「見えない壁だぁ?」
「説明するよりも体感してもらった方が早いと思いますけどね」

 中央広場を越えて見えない壁のある地点まで移動すると、じゅじゅさんは僕を放ったらかしにして壁へと向かう。ショットガンの柄で何度か壁を叩いて確認すると、突然至近距離から発砲した。

「ちょ、じゅじゅさん! 跳弾したら危ないですよ」
「ちくしょう! 袋の鼠かよ」
「あの、さっきのハンターを倒して、元来た通路を戻れませんかね?」
「あれは無理だ。倒せる見込みがない」
「そんなにデタラメなんですか? 今までの二体も相当だと思いますけど」
「クラスが違い過ぎる。音々の野郎、あんなの連れ出すなんて何考えてるんだ」
「さっきから言ってる音々って誰ですか?」
「……とにかくだ、三体目のハンターとは戦わずに、なんとかここを切り抜けるぞ」
「切り抜けるって、どうやってですか?」
「……私が囮になる」
「で、その間にみんなで逃げろってことですか……。そのアイディアには乗れませんね」
「じゃぁ、他に何か方法あるのかよっ! ?」
「じゅじゅ、落ち着けよ。あんたらしくないじゃないか」
「くっそ、なんでショットガンなんかにしたんだろうな。バズーカかなにかにしとけば良かったぜ」
「バズーカだったとしても、ハンター相手に効果があるのかは微妙だと思いますよ」

 ――ズリ、ズリズリ。
 階段の下から何かを引きずっている音が、はっきりと聞こえる。隣にいるじゅじゅさんが「最悪だぜ」とか言っているけれど、その最悪な状況を実感していない。とりあえず、三体目のハンターがどんなやつなのかを確認してみるべきだ。立ち上がって階段の方へ移動しようとした。

「爽太、辞めとけ。近付くのは自殺行為だぞ」
「この状況なら、遅かれ早かれ近付かれますよ」

 いきなり襲いかかられたらこまるので、ゴボウを目の前で構えつつ階段に近付く。相変わらず何かを引き摺る音だけが聞こえる階段下を、覗き込むように確認した。そこには一人の人が歩いているだけだった。

「じゅじゅさーん、あれがハンターですか? ただの人にしか見えないんですけど」
「ただの人? はっ、よく見てみろよ」

 そう言われたのでもう少し確認してみる。街灯による逆光で顔はよく見えないけれど、身長は高くも低くもないし、身体は引き締まっているぐらいで、変な感じはしない。あぁ、よく見れば衣類を身に付けていないので、ただの人ではないな。変態だ。レディもいるというのに全裸なのだから間違いない。動きは遅くて、僕が普通に歩くよりもかなり遅い。こんなに遅ければ、走るだけで逃げられる気がする。

「あのー、全裸ってこと以外はただの人だと思うんですけど……。参加者と見間違ってないですか?」
「そんなバケモノが人間なわけないだろ……。とにかくもう離れとけ、やられちまうぞ」

 その言葉に対して「あれだけ遅かったら大丈夫ですよ」と返して、再び階段の下へ向き直る。しかし、そこにさっきまでいた全裸の変態がいなくなっていた。

「爽太! 上だ! !」
「へ?」

 言われるままに上を確認すると、僕の真上に全裸の変態がいた。いや、前言を撤回しなければならない。今、僕の真上にいるのは全裸の変態ではなくて、紛れも無く三体目のハンターだ。振り下ろされるハンターの拳をギリギリで避けつつ、距離を取る。振り下ろされた拳は、中央広場の石畳を大きく陥没させてしまっている。首を動かしてこちらを確認すると「クケケケッ」という重なった声を出した。声というよりも音に近い。その後、ゆっくりと立ち上がったハンターの姿が、中央広場の街灯によって映し出されていく。もはやこれは人の姿とは呼べるものではない。
 顔に目が四つ、鼻が二つ、口が二つ付いている。それでも、それらは一般的な人と比べた場合でも些細な違いでしかない。明らかに違うのは左肩だ。その左肩の後ろ側から、ハンター自身の身体よりも巨大な腕が、もう一本生えている。さすがにこれを人と呼ぶことは難しい。
 ズリズリ、ズルズルと巨大な腕を引きずりながら、ハンターが近付いてくる。その動きは最初に見たときと同じでかなり遅い。さっきはいったいどうやってあんなに上空まで跳び上がったのだろうか。相手と同じ早さで後ろに下がりつつ、さっきまでいたはずの階段部分を確認すると、さっき拳を打ち下ろされた場所のように、階段の一部が陥没して崩れているのが見えた。

「爽太!」

 再度叫ばれて視線を戻すと、またハンターの姿が消えていて、その代わりに石畳が陥没した状態になっている。上を確認してみたけれど、真っ黒な空しか見えない。右にも、左にもその姿がない。残っているのは後ろだけ――。
 振り向いたときには既に巨大な腕が襲いかかっている状態だった。ギリギリでゴボウで受け止めたのだけど、ゴボウを持っている腕の骨がミシミシと音を立てているのが分かる。踏ん張ってみたものの抵抗むなしく、身体はすぐに浮いて吹き飛ばされた。吹き飛ばされながら、階段の方へ飛ばされたのはラッキーだなと思った。上手くいけば元来た道から、見えない壁の外へ出られるかもしれない。
 ――その考えは階段を下りきった場所で終わった。なぜなら吹き飛ばされたまま空中で、何かにぶつかって下に叩きつけられたからだ。どうやら見えない壁で取り囲まれてしまったらしい。この壁がハンターでないとすれば、ある意味でこの展開は有り難いものかもしれない。

「みんなコイツに近付くなよ? さっきの爽太みたいに殺されるぞ」

 じゅじゅさんの声が聞こえる。聞こえたけれどその内容は事実ではないので、これは人権侵害だ。死人に口なしとは言うけれど、僕はまだ生きているのだから、もちろん口はある。それに事実無根は正さなければならないだろう。階段を駆け上がってから力強く叫んだ。「残念ですが、生きてます!」言い終わりと同時に目の前が真っ暗になった。
 気がつくと階段の下にいて、何かが僕の上に乗っかっている。その何かをどけるために手を出した。

「なに人の素敵なヒップを触ってくれてんだよ?」
「……あぁ、触りたくなかったなぁ」
「滅多に触れるような美尻じゃねーんだ、有り難く思えよ」
「無事ですか? じゅじゅさん」
「お前のおかげで無駄な怪我はしなくて済んださ」
「とりあえず、そこどいてもらえますか?」
「あぁ、悪い」

 少しだけ舌を出して謝ってから、じゅじゅさんが立ち上がる。それに続いて僕も立ち上がった。

「あれはナニモノなんですか?」
「ハンターだろ」
「そういう意味じゃなくて……、ってその腕! どうしたんですか! ?」
「ん? あぁ、ちょっとヘタこいただけだ。気にするな」
「いやいやいや、それ折れてますよ確実に」
「仕方ないだろ、腕でも犠牲にしなきゃ今頃オダブツだったんだし」
「ショットガン使いましょうよ」
「……もう弾切れだったんだよ」
「もしかして、さっきの壁に向かって撃ったのが最後の一発ですか?」
「……残念ながらな」
「冷静になりましょうよ。焦って行動するとロクでもないことにしかならないんですよ? 知らないんですか?」
「悪かったって。流石のじゅじゅさんでも動揺することもあるさ」
「依り代、V2、V1ですもんね」
「……お前さぁ」
「なんですか?」
「一般的に大切で忘れないことを簡単に忘れやがるくせに、一般的でないどーでもいいことだけは忘れないのな」
「あとは音々でしたっけ?」
「はっ、そこまで覚えられてるとは、じゅじゅさんもまだまだってことだな」
「とりあえず、広場に戻りましょう。みんなが心配ですし」
「悪いけど、肩貸してくんない?」
「もしかして足も……」
「みんなには内緒な? かっこ悪いから」

 じゅじゅさんに肩を貸しながら階段を上っていくと、突然「アハハハハ!」という笑い声がした。階段の上から聞こえるその声の方を見ると、薄ら笑いを浮かべた女性が立っている。

「イイザマね。あなたが苦しみもがく姿は最高よ、近重純」
「ふん。やっとお出ましか? 紙咲音々」



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スラッシュ/ゲーム - /58 -


ハコニワノベル

「え? じゅじゅさんって紙咲さんと知り合いなんですか?」
「まさか再会するとはこれっぽっちも思ってなかったけどな」
「どういう関係なんですか? あの人と」
「腐れ縁だろ。それ以上も以下もない」
「どうやら忘れてしまっているみたいね。あなたのおかげで十枚になることも出来ず、今もこうして私は本部の中間管理ばかりする羽目になってるのよ? 少しは思い出してもらえたかしら? 元、帝園グループ本部第二研究室室長、近重純」
「じゅじゅさんって、昔本部にいたことがあるんですか?」
「さぁ? 人違いじゃないか?」
「ふざけないでよ! 私があなたにされた仕打ちによって、十枚になるチャンスを失った。私はね、あなたを絶対に許さない」
「……」
「十三年前、私とあなたは未来の十枚入りを競い合っていた。周りからもどちらかが十枚に入るのは間違いないだろうとまで言われていたわ」
「……」
「あなたはなんでもテキパキとこなして、どんどん評価を上げていく。それこそなんでもよ」
「……ろ」
「あなたに会うまでの私は常にトップだった。それなのに、あなたが本部に入ってきてから私の影は薄くなってしまったのよ! 企画で負け、設計で負け、運営でも管理でも、経理でさえも負けた」
「……めろ」
「だから私はあなたが出来ないことに没頭したの。潜入、詐欺、略奪、分解、殺人。汚い仕事ではあなたに負けることはなかった。それなのに……」
「……やめろ」
「私が苦労して積み上げた功績を、あなたはたったの数回の仕事で越えてしまう。それまで汚い仕事をしなかったのは、出来ないからじゃない。やれば簡単に出来るから……。あなたが抜けてから十年過ぎたけど、未だに本部であなたの記録を塗り替えた人はいないわよ?」
「やめろって言ってるだろ?」
「私が言うのをやめても、あなたの過去は変わらない。そうでしょう? 一日だけで百二十八人をたった一人で始末した過去は変わらないわ」
「……」
「その頃にはもう、次の十枚入りは近重という話ばかりで、私の名前はどこからも聞かなくなった……。だけどね、私は別に負けを認めていたし、あなたが十枚に入るなら仕方ないとさえ思っていたのよ? それなのに、それなのに……」
「……」
「急に嫌になったとか言って、あなたは本部から抜けた。十枚入りの誘いがあったのも蹴ってね。あの後、本部はあなたをかなり探したのに見つけられなかったから、十枚からかなりの重圧がかかったわよ。それから、あなたがこなしていた仕事が、全部私のところにくるようになった。くるようになったけれど、私がその仕事を終えると決まって言われたのは、”近重じゃないからこの程度なのは仕方ないか”ってね! どんなに完璧にこなしても”近重じゃないから”と言われるこの苦しみが想像できる? 完璧に仕事をこなしているのに、私には十枚入りの誘いがかからなかった……。全部、全部あんたのせいよ! 近重純! !」
「……話はそれだけか?」
「それだけ? 私の全てがそれだけで済まされると思わないでよ! ?」
「あのさ、熱く昔話を話してくれたことには感謝しとくけど、私にはもう関係ない話だな、それ」
「……アハハハハ! 相変わらず憎たらしい女ね。だけどね、関係ないで済まされないわよ? 今回のスラッシュ/ゲームが、なぜ上坂ガーデンカンパニーで行われると思う? もしかして本当に業績不振が原因だとか考えてるのかしら?」
「お前、まさかっ! ?」
「アハハハハ! その顔、最高よ。今現時点で何人が死んだと思う? 百二十八人よ、百二十八人。あなたがいるせいで、罪もない人が百二十八人死んだの。だけど安心して、あなただけは死なないから。十年間も塗り替えられることのなかった記録を、あなた自身が塗り替えるのよ。そのためだけに、あなたが存在していたというだけのために、このスラッシュ/ゲームは開催されたのだからね!」
「……下衆野郎っ」
「アハハハハ! アハハハハハ! アハハハハハハ! なんだか生存者を増やそうと努力してたみたいだけど、あと一人で十年間塗り替えられなかった記録が更新されるわ。既に逃げ場はないし、生き残ったゴミたちは全員死ぬの。あなたという存在がいたためにね! これからはたった二日で二百五十六人以上を殺したという事実を背負って一生苦しみなさい。私の十枚入りを台無しにしたんだから、これぐらい当然の報いよ」
「……くそっ」
「ほらほら、ぼやぼやしてると新記録達成になっちゃうわよ? そのショットガンで私の依り代と戦ってみる? そう言えば弾切れなんでしたっけ? アハハハハハハ! 他の生き残ったゴミが死んでいくのを、そこで何も出来ずに見てなさい」

 隣でじゅじゅさんが震えている。きっと寒いからじゃなくて、怒りによるものだろう。百二十八人の命が奪われた理由が、こんな個人的なことなのだから、じゅじゅさんが怒るのも仕方がない。それにしても、僕以外の参加者をゴミと呼ぶのは感心しない。僕のように高貴な紳士ではないにせよ、みんなそれぞれに一生懸命生きているのだから。そんな一般人をそれこそ本当にゴミのように扱うような奴の方が、よっぽど下衆だと思う。

「じゅじゅさんって元本部の人だったんですか?」
「さぁな」
「しかも、第二研究室の室長とかで?」
「さぁな」
「依り代、V2、V1。ふむふむ」
「……うるさいぞ爽太、少し黙ってろ」
「あー、そういうことを言っちゃいますか?」
「?」

 じゅじゅさんに「怪我人は、ここにいてくださいね」と、貸していた肩を返してもらった。「ちょっと待て、お前何するつもりだ! ?」と聞かれたので「百二十九人目には、ならないつもりですよ」と返した。
 ゴボウを構えつつ紙咲さんの方へ近付く。さっきまで暴れまわっていた三体目のハンターは、紙咲さんの側で大人しくなっている。大人しいと言うよりは、電源の入っていない機械か何かのように微動だにしていない。さっき”私の依り代と戦ってみる? ”とか言っていたのだから、ある程度は言うことを聞かせられるらしい。やれやれ、随分と厄介な状況だなこれは。

「あらあら? 近重さんのお気に入りの坊やが、栄えある百二十九人目になってくれるのかしら? ウフフフフ、それも楽しそうね」
「ま、待て!」
「あれあれ? どうしたんですか、そこの怪我で動けない近重さん。何かお話でもあるんですかぁ? アハハハハ! 私には待つ理由も! 意味も! 意義も! 義務も! 義理も! 何一つない! 行きなさいバケモノ! あの坊やをたっぷりイジメてから、近重純の見ている目の前で殺しなさい」

 微動だにしていなかった三本腕のバケモノが、首だけ動かしてこちらを確認してくる。そして徐に三本目の巨大な腕を引きずりながら近付いてくる。――ズリズリ、――ズルズルという音を何度か続けて鳴らした後で、その巨大な腕を振り上げながら「クケケケェーーーッ!」と二つの口でステレオのように叫んだ。そして振り上げた腕を振り下ろし、地面に叩きつけた反動で一気に目の前に飛び込んで来る。

「おわっ!」

 なんとも言えない言葉を発しながら、その突進をまともに喰らって吹き飛ばされる。突進自体はゴボウで受けたので大したダメージではない。しかし、その吹き飛ばされている最中の僕の視界に、更に加速して飛びかかってくるバケモノの姿が映った。こちらは空中にいるので避けようがない。加速した反動を乗せた巨大な腕が一直線に僕を狙って振り下ろされる。その腕を斜めに構えたゴボウで弾くように防ぐも、完全に勢いを逃がせられずに地面を擦るように叩きつけられた。そのまま飛行機の着陸時のようにズルズルと地面を滑り、見えない壁に背中からぶつかって止まった。
 その衝撃で意識が薄れかけるのを必死に堪えた。

「もうやめてくれ、音々!」

 じゅじゅさんが叫んでいる。それをとても嬉しそうに横目で確認しながら、紙咲さんがこちらに近付いてくる。

「頼まれて、はいそうですか。と引き下がるとでも思ってるの?」
「……」
「さぁ、トドメを……」
「それならここで死んでやる! 百二十九人目は私だ!」
「チッ! そうはさせないよっ!」

 突如、じゅじゅさんの身体が空中に浮かんだ。

「なっ?」
「残念でした。既にここは私の世界。あなたの思い通りには何一つならないのよ。アハハハハ! もう身動きもできないでしょう? そこでちゃんと見ときなさい! あなたのせいで死んでいくゴミたちの最後をね! さぁ、あの坊やの息の根を止めなさい!」

 バケモノが再び飛びかかってくる。起き上がろうとしても身体が思うように動かない。

「爽太! 逃げろっ!」



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スラッシュ/ゲーム - /59 -


ハコニワノベル

 ――ズン。
 衝撃による風を感じた。確かに風は感じたけれど、どこにも痛みを感じていない。もしかして死んでしまったのだろうかとも考えた。だけど、既に死んでいたとすれば風は感じないはず。じゃぁ、何がどうなって――。
 ぼんやりしている意識を「爽太君、大丈夫?」という声が引き戻してくれた。

「は、長谷川さん?」
「ジェシカちゃん助けてもらったお礼、しないとね!」

 見上げる形で確認すると、バケモノの巨大な腕を長谷川さんが巨大マジックハンドで受け止めている。その衝撃で起きた風だったようだ。しかし、受け止めるところまではよかったものの、長谷川さん自体がジリジリと押され始めている。確かにあのマジックハンドは物凄い怪力を発揮できる。ただ、それを持っている長谷川さんは普通の人だ。いや、妖精さんだ。地力でバケモノに敵うはずがない。
 ヒュンフォン――、ヒュンフォン、パーンッ! と、今度はバケモノを真っ赤なムチが襲う。「アタイ以外のメス豚に従順だなんて許せないねぇ……、お仕置きだよっ!」と何度もルー様がムチを振るう。けれど、そのムチも至って効いているようには見えない。

「私が部長に就任したときの話です。当時は……」

 森本部長の音による攻撃もそこに加わる。更に遠くで「やっと抜けたー!」というミッチー先輩の声が聞こえた。ミッチー先輩ならきっと加勢しに来るだろう。やれやれ、みんな自殺願望者なのかもしれない。それぞれの武器がまったく通じない相手にどうしようと言うのだろう。抵抗したところで結果は変わらない。変わらないけれど――なぜかそれが可笑しくなって笑った。
 そうこうしているうちに、マジックハンドごと持ち上げられた長谷川さんが大きく後ろへ投げ飛ばされ、なぎ払われた巨大な腕によってルー様と森本部長がコマのように弾け飛ばされる。遅れてやってきたミッチー先輩が「ていやーっ!」と叫びつつ、渾身の力で投げた槍は、ギンッという音を出してバケモノに当たったものの、バケモノを貫くこともなく地面に転がった。
 武器を失ったミッチー先輩を意に介することなく、バケモノは僕の方に向き直って近付いてきている。なんとか立ち上がってみたけれど、そうそう何度もあの巨大な腕を防いでいられそうにない。それに、さっきから意識が飛びそうになっていて思考も曖昧だ。
 策を巡らす暇もなく、三度バケモノが飛び掛ってくる。なるべく受け流すようにゴボウを構えた。しかし、バケモノは僕に届くことなく、ほぼ真横に吹き飛んでいった。

「! ?」
「よう」
「……なんだアレ」
「……」
「今日もやけに頑張っちゃう系じゃね?」
「……ははは。あっれー? 生きてたんですか。残念ですよ」
「お前さー……、マジでウザイわ。助けてもらったんだから、礼ぐらい言えよな」
「アレ何? なんの生き物? UMA? ちょっ、ちゃんと理屈の通る説明してくれる?」
「お二人も相変わらずですね。三好さん、それから高畑さん」
「こんな状況になっても、お前ってマジウゼーのな。ちょっとだけ尊敬するわ」
「そんなことはどうでもいいから、あの生き物は何なの? 納得がいかないんだけど」
「三好さんにだけは尊敬されたくなかったですが、仕方ないですね。それから、アレはですね高畑さん、ハンターってやつですよ。ちなみに他にもデタラメなのが二体ほどいたんですけどね」
「はっ、尊敬なんて冗談に決まってるだろ? 俺だってお前に尊敬されたくねーし」
「やれやれ、安心して下さいよ。例え冗談だとしても、あなたを尊敬することは有り得ませんから」

 よく見ると、三好はその手にゴルフのウッドのような武器を持っている。もう少し説明しようとするなら、ハンマーに近い。さっきのはどうやらこの武器でバケモノを吹き飛ばしたらしい。相変わらず力任せな人だ。それに比べてさっきからブツブツと言っている高畑の手には、懐中電灯のようなものが握られている。二人とも相変わらずのデコボコぶりで、妙に安心してしまった自分に少し腹が立つ。

「ど、どこから入ってきた! ? この中央広場の中にいたのは六人だけ。私の作った壁の外から入ることは出来ないはず……」
「はぁ? 壁だぁ? そんなもん無かったぜ、お姉さん」
「三好、あれじゃないか? ほら、何か見えない障害物……あったろ?」
「あぁ、あれのことか!」
「数トンの荷重に耐えられる特性のワイヤーを、何重にも編み込んで作った壁を突破するなんて不可能よ! 銃火器や刃物ぐらいじゃ傷も付けられないのに! そこのゴミ二匹……、何をした! ?」
「高畑、なんかお姉さん怒ってるぜ? お前説明してやったら? 好きだろ? そういうの」
「あれはワイヤーだったのか……。まぁ、そうだとしても簡単な話。例えば、ダイヤカットマシンがあればそのワイヤーを切断することは可能」
「あんたの武器がダイヤカットだって言うの? そんなことはない! すべての武器を準備させたのは私なのよ? そんな武器を希望した奴は一人もいなかった!」
「だから例えばの話。どんな強靭なワイヤーであったとしても、それをどうにかする方法が皆無でないのだから、ここに入ってくることは不可能ではない」
「おい、高畑」
「なに?」
「多分な、あのお姉さんが聞きたいことって可能か不可能かっていう話じゃないと思うぞ」
「あ、そうなの?」
「どうやってここに入ったのかと聞いてるのよ! いつまでそこで転がってるつもり? あの二人から始末しなさいバケモノ!」

 二人めがけてバケモノが飛びかかる。しかし、まるで野球でもしているかのように三好が振り回したゴルフのウッドのようなもので、バケモノは打ち返された。「今のは三遊間抜けたんじゃね?」と三好が笑っている。打ち返されたバケモノはすぐに受身を取って体勢を整えている。

「光刃は超高温の熱エネルギーを発しており、殆どの物質を容易に切断する事が出来る」
「何をぶつぶつ言っている! ? ゴミのくせに忌々しい!」

 紙咲さんが振りかざした腕から何かが光った。あぁ、知力のゲームのときに見たのはこれだ。さっきの話からすると、物凄く強度のあるワイヤーなのだろう。これでゲーム参加者の首を切断していたに違いない。ワイヤーをカウボーイの投げ縄のような状態にして相手の首にはめさえすれば、周りにどんな人がいたとしても、狙った相手の首だけが飛ぶだろう。噴水公園に移動する前に、紙咲さんが指先で何かを引っ張る仕草をしていたのも、このワイヤーだと確信した。特性だとか言っていたのだから、強度は強靭なままで目視出来ないほどに細くしたものだと考えられる。
 その光が渦を描きつつ高畑に近付いていく。「まずはお前だっ!」と紙咲さんが叫んだ。

「つまり、これが答え」

 そう言った高畑の周りが、蛍光グリーンに輝きだした。手にした懐中電灯のようなものの先から、緑色の光が伸びているのが見える。それをブゥン、ブゥン言わせながら振り回すと、紙咲さんから伸びた渦状の光はバラバラになって散った。

「武器を入力しろという指示に、どうしてみんながこう書かないのかが不思議だ。武器といったらライトセーバー以外あり得ない」
「高畑。それ、お前だけだと思うわ」
「つまり、それで見えない壁を焼き切ったわけですか」
「しかし、映画で観てたら物凄く便利な武器なのに、実物は持っている手が熱くて長時間は扱えない……。そこが不満だ」
「相変わらずの理屈屋ですね、高畑さん。それにしても、なんで助けてくれるんですか? お二人とも」
「……はっ。お前に借りを作りっぱなしでいられるかよ」
「借り?」
「前のゲームで一応お前に助けられちまったからな」
「えぇ? 僕が、三好さんをですか? 何かの間違いじゃないですか?」
「間違いじゃねーし。お前がカードを選んで俺たちを勝ち抜けさせたんじゃねーかよ」
「俺たち? ……あのですね、一応三好さんのカードを選択したのは覚えてますよ? だけど高畑さん、あのときいましたっけ?」
「いたよ。……悪い?」
「ほんと、お前みたいなのに助けられたかと思うと気分悪いわ」
「僕も今、同じ気分ですよ」
「ならザマーミロだな」
「言いたくないですが、お礼言っておきます。お二人ともありがとうございます」
「……辞めろよ、気持ち悪い」
「口だけですからご心配なく」
「はっ。お前がそうじゃなきゃ、こっちも調子狂うわ」

 体勢を整えたバケモノがまたこちらに飛びかかってくる。三好がまたバットのようにスイングしようとすると、バケモノが突如方向を変えて高畑の方に飛びかかった。「ちょっ」とだけ残して高畑が吹き飛ばされる。更にバケモノは吹き飛んでいる高畑に追いついてその足を掴むと、無理やり地面に叩きつけた。「ギャッ」という声とも音ともいえない叫びのあと、更にバケモノが高畑を持ち上げて叩きつけようとする。

「てめぇ、いい加減にしとけよ? あぁ?」

 三好が武器を振りかざして駆け出した。しかし、数歩でその動きが止まる。「っなんだよ、コレ?」三好が疑問に満ちた言葉をつぶやいた。どうやら、紙咲さんのワイヤーで身動きを封じられたらしい。じゅじゅさんが空中に浮かんでいるのも、ワイヤーということか。

「所詮はゴミ。武器の相性さえ封じてしまえばなんてことはない。ちょっと取り乱した私が馬鹿みたいだわ。そんな奴は後で始末なさい。今は近重純のお気に入りを始末するのが先よ。さっさとトドメを刺してきなさい」

 まるでおもちゃに飽きた子供のように、振り上げていた高畑を投げ捨てると、またバケモノがこちらに向かって来た。三好たちのおかげで思考は随分落ち着いてはきたけれど、対抗する手段は相変わらず皆無だ。一体目は体内、二体目は近距離とそれぞれに弱点らしい部分があった。しかし、この三体目のハンターにはそれらしいものが見当たらない。ショットガン、M60の銃火器も効いていないし、体表は一体目のハンターのようにかなり硬い。巨大な腕の破壊力は凄まじいし、その腕を使った移動によって、距離に関係なく攻撃を仕掛けてくるので始末に終えない。
 ただ、歩いている状態だと巨大な腕を引きずっているので遅く、腕を叩きつけた移動は素早いけれど一直線にしか向かってこない。それと、腕を叩きつけたあとの移動中は必ず空中にいる。そうか――、一回が限界だろうけど、避けられそうだな。

「クケケケェーーーッ!」

 二つの口の口角を気味の悪い高さまで上げて叫んでから、バケモノが腕を叩きつけて飛びかかってきた。僕はそれに合わせて階段に飛び込む。一回転――、二回転と半分ほど回った僕をかすめながら、バケモノは階段の中腹まで落ちていった。



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スラッシュ/ゲーム - /60 -


ハコニワノベル

「近重純のお気に入りだけあって、なかなかしぶといじゃない。だけどね、どうせ逃げられないのよ? もう諦めたら?」
「何を、ですか?」
「生き残ることをよ! あの女のせいであなたたちは殺されることが決まってる。どうやっても勝てないし、どうやっても逃げられない。何をしたって見逃してさえもらえない状況なのに、なぜ諦めないの? 馬鹿みたい」
「見かけによらず、紙咲さんって頭悪いんですね」
「はぁ?」
「どうして、じゅじゅさんのせいになるんですか?」
「あの女が、私の十枚入りを台無しにしたからよ!」
「だから、僕たちが殺されると。いやいや、そうじゃないですよ、紙咲さん」
「?」
「あなたが、あなたの責任で、認められなかっただけです。そこにじゅじゅさんはまったく関係ない」
「……何を知ったような口を!」
「仮に僕たちがここで殺されるとしましょう。だけどそれは、じゅじゅさんのせいではなくて、明らかにあなたのせいですよ。こんな簡単なことも分からないだなんて、やはり紙咲さんって頭悪いみたいですね」
「……あんたに何が分かる? あんたに私の何が分かる? 私の十年間の苦しみの、何が分かるっていうのよっ! ?」
「さぁ? 何一つ、分かりませんよ。そんなもん、分かりたくもないですし」
「さっきから何をしてるんだバケモノ! さっさとこのゴミを殺してしまえっ!」

 しかし、階段の中腹あたりにいるはずのバケモノが動く気配はしない。「バケモノ! 聞こえてるでしょ! 早くしなさいっ!」声を荒らげて紙咲さんが叫ぶ。それでも、バケモノは動かない。

「それは無理よ」
「誰だ! ?」
「あの生き物は”命令のない世界”に行きました」
「あぁ。すみませんね、こんなとこまで出張ってきてもらって」
「気にするな。あれがラスボスってとこだろ? 少しぐらい俺たちも協力するさ」
「爽太君、あの子のことは心配しなくて大丈夫だからね。今も”時間がゆっくり流れる世界”にいるわ」
「ありがとうございます。黒瀬さん、のんさん」
「ど、どこから湧いてきてるのよ! さっきからチョロチョロと目障りだわっ!」
「依り代……、でしたっけ? あれがいないなら僕たちにも勝機ってものがありそうですね」
「私があの世界を解除しない限り、もう出てくることはないわ。本部のあなた、もう諦めなさい」
「……世界ぃ? あぁ、その武器はアダプターだね? ふぅん。あなた、アダプターがあるとはいえSWSを発動できるなんて才能あるわよ? だけど残念ねぇ、そんな大きさのSWSじゃ……、私に楯突くこともできないわっ! !」

 紙咲さんがパチンと指を鳴らすと、バケモノを囲んでいた四角い物体が、モザイクが晴れるように消えてなくなった。その中から三本腕のバケモノが出てくると「来い」という紙咲さんの声に即座に反応して、紙咲さんの側に飛んで行ってしまった。少しだけ見えた勝機が、見えただけで消えてしまった。

「そんな……、なんで?」
「SWSで作られた世界の中は、その世界のルールに縛られる。それが絶対のルール」
「だったらなぜ! ?」
「分からない? あなたが作った世界を、私が作った世界の中に入れたのよ。私の世界の中は、私がルール。あなたみたいな小さな世界、取るに足らない子供だましだったってことね。アハハハハ! 勝ち誇ってたみたいだけど、所詮はゴミが増えてもゴミね」

 気だるそうに紙咲さんが左腕を上げると、街灯に照らされて光りながらワイヤーが伸びて行く。「うぉ!」という黒瀬さんの声に振り向くと、のんさんと一緒にワイヤーで絡め取られてしまっている。まるで手品のように、スルスルとのんさんの世界の杖が空中に浮かんでいき「これは邪魔ね」と紙咲さんが左手の人差し指をクイと動かした途端、世界の杖が大噴水の中に放り込まれてしまった。

「さぁて、邪魔者はいなくなったわね。これでやっと君が栄えある百二十九人目になれるのよぉ。そ・れ・よ・りぃ、さっきなんだか生意気言ってたから、ちょっとお仕置きしてあげないとねぇ」
「いや、遠慮しますよ」
「遠慮する権利なんてあるわけないでしょ。さぁバケモノ、あのゴミを捕らえなさい。いいこと? 殺すんじゃないわよ?」

 ゴボウを構える暇すら無く、気が付いたときにはバケモノの巨大な腕で身体を掴まれていた。そういえば、イギリス庭園で見かけた三人の死体は、ことごとく骨を折られた状態だった。あれはまるで、巨大な腕で握り潰されたみたいに。
 ――残念なことに、その想像は間違いではないらしい。

「捕まえたぁ! ほぉら、近重純! 見えるかしらぁ? ちゃんと見ときなさいよ。あなたのお気に入りが、今から弄ばれて死んでいくところをねっ!」
「……ちっ」
「バケモノ、少しずつ握る力を強くしていきなさい。一思いにやるんじゃないわよ? ジワジワと強めていきなさい」
「ぐっ……、あぁ!」
「あらぁ、いい声出すじゃない。私、そういう声が聞きたかったのよ。気絶なんてしないでね、ボクぅ」
「あぁっ……がっ」
「いいじゃない、いいじゃない。苦しみなさい、苦しみなさい。近重純に聞こえるように喘ぎなさいっ! アハハハハ! アハハハハハ! アハハハハハハ!」
「……くそっ」
「あら、近重さん。何かおっしゃったかしら? 言いたいことがあるなら言って頂いても構いませんよぉ?」
「ぎぃっ! あがっ……っ!」
「あらあらボクも必死ねぇ。何も考えずに抵抗するの辞めちゃえばいいのにぃ。何したって結果は変わらないのよぉ?」
「……音々! もう辞めろっ……辞めてくれっ! お前の望む通りに私が従うから……、だからもう辞めてくれっ!」
「えぇー? 何ぃー? 全然、聞こえないんですけどぉ? アハハハハ!」

 身体の骨が軋む音しか聞こえない。ゴボウがほんの少しだけつっかえ棒のようになってくれているけれど、こうもゆっくりと力を加えられていくと、ゴボウ自体が曲がってしまってあまり効果がない。奥歯を噛みしめて声を出さないようにしてみるけれど、骨が軋むたびに襲いくる慢性的な痛みが、僕の顎をこじ開けてしまう。それから、痛みを感じるのと同時に、意識が飛びそうになる。
 このままだと、――また。



   ◆



(これはもう、どうにもならないね)

「さぁ、それはどうだろう」

(この状況なら、考えても考えなくても同じじゃないかな?)

「だったら、考える方を選ぶよ」

(強情だね)

「責任感が強いのさ」

(無駄な努力だと思うけど)

「やってみなきゃ分からないよ」

(やってみてこの結果だろう?)

「……」

(君は頑張ったよ。もう十分なほどにね)

「……」

(もうそろそろさ、休憩してもいいんじゃないかな)

「……」

(無駄なことを考え続けるの、辞めちゃいなよ)

「……ははっ」

(何がおかしいのさ?)

「いやぁ……、別に」

(もう疲れてるんだよ。考えるのを辞めて、本気を出せばいい)

「いやだ」

(なぜ?)

「なぜって? いやぁ、それがさぁ、それどころじゃなくなったみたいなんだよね」

(殺されそうなのに?)

「まだ殺されかけてもいないよ。それは多分これからだ」

(どういう意味だい?)

「あれが見えない?」

(あれ? あれってなんだい?)

「赤いなぁ……、なんであんなに赤いんだろう」

(赤い?)

「赤過ぎるよなぁ、あれ」

(……)



   ◆



 意識が完全に落ちようとしていた間際に、僕の視界に入ったものが意識を現実に引き戻した。意識が戻ってくると、今度はその現実に「……ははは」と、笑うしかなかった。

「あらぁ? まだ意識があったのぉ? こんな状況で笑っちゃうなんて、可哀想に。もう壊れちゃってるわねぇ、この子」
「……それ、は……、どうですか……ね」
「まだ強情な口が聞けるなんて信じられないほどしぶといわね。それとも今生のお別れでもしたいのかしら? いいわよぉ、死ぬ前に近重純への恨み言でも言っておきなさい。あなたさえいなければ良かったのに! とかね? アハハハハ!」
「……」
「ほら、早く言いなさいよっ!」
「……くっ、苦し……くて、声が……」
「バケモノ! 少し力を緩めなさい、逃がさない程度によ。……さぁ、恨み言を吐き出しなさい。そして近重純を苦しめるのよ。アハハハハ! いいわよ! いいわ! 最高の気分!」
「……はは。あの……、紙咲さん」
「私にじゃなくて、近重純に言いなさいよ」
「そ、うじゃ、なくて……。紙咲さん、あな、たの負……けみたいですよ」
「私が負ける? どうやって? もう私を、ううん。そのバケモノすら倒せるような参加者は残っていないじゃない。それとも何かしら、あなたが今からそのバケモノを倒してみせてくれるのかしら?」
「赤い……」
「は?」
「赤いよ……なぁ」
「なにこの子、幻覚でも見えてるんじゃない? せっかく、近重純への恨み言が聞けると思ったのに……。まぁ、いいわ。これ以上妄言に付き合ってられないし、そろそろ殺してあげる」
「音々! 辞めろっ!」
「だから聞こえませぇーん。アハッ!」
「……どうりで数が足りないわけだよな。はははっ! ……最悪だ」
「また意味不明なこと言っちゃってるし。もう、そういうの聞きたくないわ。バケモノ、もう一思いにそいつを潰して……」

 息を吸え、しっかりしろ。じゃないと殺されるぞ。
 短く考えて実行に移す。息を吸って、思考を回転させる。駄目だ、どんなことをしても、どんなことを言ったとしても、殺されるイメージしか湧かない。「はははっ!」笑えて仕方がない。これはもう――駄目だ。

「紙咲さん。僕は今、たった今、今日一日で初めて死を覚悟してますよ」
「それはそうでしょう。だって、君は今から死ぬんだからね!」
「それにしてもアレは、やり過ぎだろ……」
「はぁ?」

 僕の視線が明後日の方向を向いているのが気になったのか、紙咲さんが僕の視線の先を確認する。僕の視線の先には、葉の落ち切った大きなイチョウの木が並んでいるのが見えている。奇妙なのは、そのイチョウの中の一本が赤々とライトアップされていることだ。更にその赤いイチョウの木の上に、キツネのお面を付けた巫女さんの姿が見える。赤い光に浮かび上がるその異様な姿は、恐ろしいほど美しく、恐ろしいほど猛々しい。お稲荷様がそこにいた。
 やれやれ、これは本当に死を覚悟しなければならないな。



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スラッシュ/ゲーム - /61 -


ハコニワノベル

 枝から枝へ飛び跳ねながら、真っ赤なイチョウの木からお稲荷様が降りてくる。薙刀のように見える巨大なあれは、元旦の式典でしか使われることのない国宝の弓、紅麒麟だっけ。あんなものを持っているということは、明確な意志をもってここに来ているという証拠だ。残念ながら遊び半分や、冗談半分ではないらしい。逃げるなら今しかないのだけれど、逃げようにもバケモノに掴まれているのでどうしようもない。
 ――トントン、トトン、トトトトトトトトン。細かく何かが揺れたような感覚がする。

「……あぁ、これは、あれだ……。最悪の、状況だ」
「あんた何者? 参加者じゃないねぇ? 私の作った壁の中にどうやって……、いや、この公園内にどうやって入った! ?」

 お稲荷様は叫ぶ紙咲さんを無視しつつ、その横を素通りしてこちらに真っ直ぐ近付いてくる。「無視してるんじゃないわよっ!」と紙咲さんが左手を上げた。――上げたけれど、何も起こらなかった。

「な? なに? どうなって? えぇい、バケモノ! この部外者を排除しなさい!」
「クケケ……、グギャーッ! !」
「何を騒いで……、なっ! ?」

 バケモノの四つある目のそれぞれに、漏れなく一本ずつの矢が深々と突き刺さっていた。どうやら目に対する攻撃は効果があるらしく、僕を掴んでいる腕の力がふっと緩んだ。瞬間、曲げられていたゴボウが跳ねるように元に戻り、巨大な手のひらを更に開いてズルリと落ちるように、僕はなんとか巨大な腕の中から解放された。
 そのまま地面で横たわっている僕の目の先に、近付いてきた草履と足袋がピタリと止まった。恐る恐る見上げてみる。

「何死にかけてんねん」
「まだ死んでないよ?」
「うちが一思いにやったろか?」
「いやー、遠慮しとくよ」
「ほな、はよ立ち」
「なんで?」
「ええから、はよ立ちや」
「だから、なんで?」
「ごちゃごちゃうるさいねん。男は黙ってちゃっちゃと動き」
「いや、あのね? だから……」
「うちが立てって言ったら立たんかい! 爽太!」
「あ、はい。すいません」

 身体中の痛みを忘れるように、勢いよく立ち上がった。直立不動の気を付けの姿勢だ。それを確認すると、お稲荷様がキツネのお面を頭の上へとずらす。そのお面の下から、それはそれはとても美しい大和撫子が現れた。無表情なのが残念だ。せめて最後に笑顔が見たかったな。

「久しぶり、静香」
「遅い」
「え?」
「遅過ぎや」
「えーと、何が?」
「うちがどれだけ待ってたと思っとんねん。昼過ぎからスタンバイしてたのに……。全然状況が進展せえへんし待ちくたびれたわ」
「スタンバイってもしかして、あの赤い照明のこと?」
「ん? せっかくうちが登場すんねんから、スポットライトはいるやろ」
「僕らがここに入ってきたのが夕方だから、それよりも随分早い段階で準備してたんだ……。ご苦労様です」
「ほんま無駄になるかと思ったわ」
「ちなみにさ、いつこうなるって分かったの?」
「そんなもん、あんたに矢文送ったときに決まってるやんか」
「矢文って……”うるさい、黙っとけ”のやつ?」
「そうや。あんときからあんたの未来が余計に見えなくなったから気になっててん」
「だったらもっと早くに現れてくれると助かったのに」
「今日の午前中にな、あんたの会社に入り込んでみてんけど、すぐに出たわ」
「なんで?」
「嫌な感じがしてん」
「ふーん」
「それよりも、あんたほんまに死にかけやんか」
「いや、だからさ、まだ死んでないよ」
「それを死にかけ言うんとちゃうんか? ほんま一思いにやってあげんで?」
「静香がそれを望むなら、僕はそれでもいいけどね」
「アホ。まだあんたにはやってもらうことがあんねんから、生かしといたるわ」
「それはそれは、有り難き幸せ」
「さてと」

 静香が苦しんでいるバケモノの方へ振り返る。「けったいな生き物やなぁ、これ」とバケモノをじろじろ見ている。

「お嬢ちゃん、あなた何者なのかしら? 上坂噴水公園には入れなくなっていたはずだけど?」
「なぁ、爽太。この生き物なんなん? は? 依り代? なんやねんそれ」
「お嬢ちゃん? 無視しないでくれるかしら?」
「目が四つ、鼻が二つに、口も二つ。あ、耳は二つなんや、へぇ」
「いい加減にしなさいよ小娘っ! !」
「いかつい腕やなぁ。でもなんで腕は三本なん? バランスわるない?」
「いい加減に……」
「あんたがぶっ飛ばした頭だけでっかい犬と、頭が三つある鳥も全部バランス悪かったなー」
「いい加減にしなさいよっ! !」
「は? なんやねん、おばさん。さっきからうるさいねんけど?」
「年上に対する口の聞き方がなっていないようねぇ……。バケモノ、それぐらいなんてことないでしょう? さっさとその小娘を殺してしまいなさい!」
「そら無理やろ」
「は?」
「そら無理やって」
「あなたのその弓矢で、このバケモノを倒せるとでも思ってるのかしら?」
「思ってへんよ」
「はぁ? だったら何を……」
「もう終わってんねんもん」
「終わってる? 何が?」
「倒せるなんて思ってへん。もう倒したんやからな」
「さっきの攻撃のことかしら? 残念だけど眼球への攻撃ぐらいじゃ、このバケモノは死なないわよ」
「眼球? ちゃうちゃう、もっと前に終わってんねん」
「もっと前? あなたさっきから何を言って……」

 ――ドサッ。
 突然、バケモノの巨大な腕だけが地面に落ちて、その数秒後に続くようにバケモノの身体も地面に倒れ込んだ。巨大な腕が生えていた左肩の部分に、数十本の矢が円を描くように突き刺さっているのが見える。静香がイチョウの木を降りて、こちらに近付いてきている最中に感じた細かい揺れはこれだったのだろう。つまり円形に突き刺さった矢は、イチョウの木を降りる前に既に放たれていたということだ。やれやれ、相変わらずなオカルト趣味だな。

「な? もう終わってるやろ?」
「な、何をした?」
「何をしたって、矢を射っただけやで?」
「それがなぜ突き刺さるっ! ? 依り代の体表は銃火器や刃物でさえ、傷一つ付かないほどの硬度があるのよ?」
「そうでもないやん、このいかつい腕が生えてた場所の境目なんかズルズルやんか」
「確かに境目は脆くなっているかもしれない。それでも、あの距離から狙ってそこだけに矢を当てることなんて不可能よっ!」
「そんなん余裕やで? これぐらいなら、目閉じてても当てられるわ」
「それに……、この依り代を倒すには……」
「コアやろ?」
「コアを破壊しないと……、なっ? なぜそれを」
「おばさんが今言うたやんか。アホなんか?」
「そうだとしても……」
「コアのある位置は依り代それぞれで違うくて?」
「コアのある位置は依り代それぞれで違って……」
「このV1のコアは? 首の付け根部分にある? らしいから、そこを打ち抜いただけやん。簡単やろ?」
「このV1のコアは、首の付け根部分にあるのに……! ! あ、あなた何者なのっ! ? まさか、あなた……割紙一族なんじゃ?」
「何言うてんねん。うちはどこからどう見ても、頭脳明晰、容姿端麗、料理上手で大和撫子な美少女やんか」
「料理上手だったっけ?」
「なんや? そんなに死にたいんか、爽太」
「めっちゃ美味しい手料理を、まいどおおきに、ごちそうさまやねん」
「なんやねん、その関西弁。しばくで?」
「いや、うん、ごめんなさい」

 倒れているバケモノの首の付け根を確認すると、矢羽がギリギリ見えるぐらい深々と一本の矢が刺さっているのが分かった。これがさっき言っていたコアを打ち抜いた矢だろう。この矢も、こちらに向かってくる前に放たれたものだな。やれやれ、全く以て容赦ないな。

「爽太」
「なに?」
「あんた、本気になりや」
「へ?」
「いいから本気出してや」
「なんでまた?」
「ええから早く!」
「あのね、ちなみにだけどさ、本気出さなかったらどうなるの?」
「死ぬ」
「誰が? 僕が?」
「ここにいる全員や。みんな殺される」
「物騒な話だね」
「もちろん、私もやで」
「……嘘だよね?」
「ほんとや」
「僕が本気出したら、静香は助かるの?」
「分からん。あんたの未来だけはよー見えへん。だからこそ、結末の見えへん未来に賭けるしかないやろ?」
「……嫌だって言ったら?」
「……うち、泣く」
「……」
「爽太が本気出してくれへんのやったら泣く、絶対泣く」
「……脅迫に近いよ、それ」
「そらそうやろ、だってこれは脅迫やもん」
「どのみち、選択肢は一つってことか」



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スラッシュ/ゲーム - /62 -


ハコニワノベル

 身体はボロボロになっているけれど、どうやら骨は折れていない。手に持っているゴボウに視線を落としてから顔を上げる。背中を向けたままの静香から「はよしいや」とだけ言われた。

「依り代を準備するのがどれだけ大変だったと思ってるの……。三体も使って何の成果も出せなかったらどうなると思ってるの……。ゴミのくせに、何の役にも立たないゴミクズのくせに……。許さない。お前ら全員その首を切り落としてやる! 遠慮なく! 躊躇なく! 容赦なく! 際限なく! 見境なく! お前らの首、全て貰ってあげるわよぉぉぉっ! !」

 紙咲さんが怒号をあげて左腕を振り上げる。街灯で輝くワイヤーが数十本伸びていき、それらを右腕でグイと引っ張ると、突然一番近くにあった街灯の明かりが消えた。いや、正確に言うならば街灯が途中から切り取られてしまっている。街灯だけじゃない、ベンチ、低木、階段の手摺、地面。ありとあらゆる物が削り取られていく。まるで、全部が豆腐で出来ているかと思うほど簡単に削られる。これじゃぁ、首どころか全身をバラバラにされてしまいそうだ。やれやれ、本当に見境がないな。

「ほんま、急がな間に合わへんくなるで」
「静香が泣くっていうなら……仕方ない」

 静香のいる位置よりも一歩前へ出る。
 一心不乱に、客観的に見れば、小さな羽虫と格闘しているようにしか見えない紙咲さんを中心に、その範囲を徐々に大きくしながら、様々な物が削り取られていく。目の前に倒れているバケモノと、その巨大な腕も切り刻まれて輪切りのような状態になっている。ワイヤーが起こしていると思われる風が、少しずつ強くなってきているので、ワイヤーが差し迫ってきているのだろう。
 このワイヤーの長さは簡単に中央広場を囲むぐらいはあるのだから、このままだと間違いなくここにいる全員が切り刻まれてしまうことになる。これだけ多重にワイヤーを振り回されたら、静香の弓でも届かない――のかもしれない。右手のゴボウを握り直す。

「爽太! 辞めなさい! 勝ち目なんてないわよ!」

 いろんなものが削り取られ崩れ去っていく音の隙間に、耳慣れた声が聞こえたので確認すると、ミッチー先輩が吹き飛ばされた人たちをワイヤーの範囲から避難させているのが見えた。

「……ミッチー先輩。ちわーっす」
「挨拶なんていいから逃げなさい! そこの女の子も一緒に! ほら、急いで!」
「そうだぞ爽太! 小谷と一緒に逃げろ! SWSを発動されたら、何をどうしたって無理だ! 私のことはほっといて逃げろ!」
「あの、お二人とも、聞いてください。多分ですけどね……大丈夫ですよ」
「どこがどう大丈夫なのよ? ほら、さっき三好君と高畑君が壁を焼き切ったんでしょ? そこから逃げられるはずだから」
「ワイヤーで捕まっている奴らは、残念だが諦めろ! 自由に動ける奴を連れてさっさと逃げるんだ!」
「いやいや、ご心配なく」
「心配するわよ! ちょっと、聞いてるの?」
「おい、爽太! いい加減にしろ。お前が本気を出そうが出すまいが関係ないんだ! お前はもう十分頑張った。お前は凄いよ。だけどな、SWSはそういう問題じゃない! 聞いてんのか? おい! 爽太!」

 短く息を吐き出してから、視線を紙咲さんの方へ戻して目を閉じる。

 風はどんどん強く感じてきている。

 あぁ、そろそろ一雨降りそうだ。

 六百三十円の焼肉定食はそこそこ美味しかったな。

 残業をしたことのない僕が残業をしたんだっけ。

 ランチ代五人分を返して貰わないと。いや、それは無理か。五人のうち二人はもういないのだから。

 なんでこんなことになったんだろう。

 あぁ、そうだ、思い出した。”あんたは何でも頭から突っ込むような奴や”だったっけ。



「残念だけど、思考を閉じますか」



 今度は深く息を吐き出していく。息と一緒に思考も吐き出すように。



   ◆



(あれだけ嫌がってたじゃないか)

「なにが?」

(本気は出さないんじゃなかったの?)

「事情が変わったからね」

(無責任だね)

「君は本気を出せ、本気を出せって言っていたんだから、丁度いいと思うけど?」

(だけど納得いかないな)

「納得?」

(自分が死ぬことになったとしても、本気を出さないと言っていたじゃないか。それと”      ”なんでしょう?)

「だからこそだよ。それに静香が泣いてしまうからね」

(あの子が泣くことの方が、君の命よりも大切なことなの?)

「そうだよ」

(君って奴は意味が分からないね)

「静香が泣くぐらいなら、本気を出すよ」

(そんなにあの子のことが大切なの?)

「自分の命よりも大切だね。掛け値なしで」

(ふーん)

「だからさ、本気出すよ」

(好きにすればいいよ。元々、僕は呼びかけることしか出来ないからね。決定権は君が持ってる)

「へぇ、そうだったんだ」

(何か言っておきたいこと、聞きたいこと、知りたいことは今のうちにしておくんだね)

「本気になる前にしておくよ」

(それじゃ、また後で)

「また後で」



   ◆



 目を開けると、ほんの一、二メートル先の地面が円形にえぐれながら、徐々に近付いてくるのが見える。

「静香」
「なんや?」
「本気、出すよ」
「出してもらわな困るわ」
「だからさ」
「だからなんやねん」
「いや、本気出すからさ」
「なんやねん。はっきり言われへんことなら、別に言わんでええで?」
「あのさ、愛してるって言ってくれない?」
「はっ?」
「そう言って貰えたら、めちゃくちゃ本気出せると思うんだけど」
「な、なんでそんなもん、うちが言わなあかんねん。アホか」
「言って欲しいのになー」
「……」
「そしたら頑張れるのになー」
「……」
「たまには言葉で聞きたいなー」
「……あ、あ」
「きちんと言って欲しいなー」
「あい、ああ、あいし……」
「言って貰いたいなー」
「ア、アホくさ……」
「もしかして、僕のこと愛してないの?」
「……」
「ちょっと残念だなー」
「……あ、愛して、愛してないわけじゃないで」
「ははは。ありがとう。愛してるよ、静香」
「ア、アホ……。さっさと本気出して片付けてしまい。……アホ、ほんま、爽太のアホ」
「了解」

 右手のゴボウを突き出して紙咲さんに向けて叫ぶ。

「紙咲さん!」
「今更、命乞いしても遅いわよぉぉぉっ!」
「命乞いなんてしませんよ。ただですね、一応言っておきたいことがあるんです」
「私は何も聞きたくないねっ! お前らみたいなゴミの話、まったく聞きたくないっ!」

 突き出したゴボウが大きく弾かれる。弾かれただけで、ゴボウは切り刻まれてはいない。

「僕、あなたみたいな美人でドSな人、好きなんですよ」
「私に取り入ろうとしたって無駄よっ!」
「取り入ろうとなんてしてませんよ。純粋にドSな女性が好きなんです」
「だから何だって言うのよっ! そんなこと死ぬ間際に言う意味が分からないわねっ!」
「いやぁ、それがですね、僕はそんなドSな女性を、屈服させていくのが大好きなんです。だけど、紙咲さんを屈服させていくのは見られなくなりました。それがとっても残念です」
「アハハハハ! やっと諦めたのね! お利口さんよ。さぁて、近重純! 見てなさい! あの子の首が、ううん身体中がバラバラに飛び散っていく様をねっ!」
「……音々辞めろ! 爽太も逃げろ! 逃げてくれ! 頼む! もう、もう! たくさんだ……」
「紙咲さん、本当に残念です。見たかったなぁ、紙咲さんが屈服していく様……。ま、仕方ない! 諦めます!」
「痛みはないから安心しなさいっ! 綺麗に切り取ってあげるわ。アハハハハ! アハハハハハ! アハハハハハハハハハハハハハハハハ!」

 おびただしい数のワイヤーが、ありとあらゆる角度から襲いかかってくる。呼吸を小さく三回してから、もう一度目を閉じた。












 ――稲光。












 閉じた目を開くと同時に、雷鳴が空気を震撼させて轟く。そしてすぐに雨が降り出した。
 降り出した雨粒に合わせて視線を落とすと、僕の足元には――、うつ伏せに倒れた紙咲さんがいた。

「あなたみたいなドSな女性が、屈服させられていく過程が見たかったのになぁ」



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スラッシュ/ゲーム - /63 -


ハコニワノベル

「ちょ、え? 何? 何が起きたの?」

 雨の音と一緒にドサッという落下音。確認すると、じゅじゅさんが地面に倒れている。何かを振り解こうともがいているように見えるのだけれど、何で地面に倒れたんだろう? なんだかよく分からない。
 徐々に雨が強くなっていく。

「え? なんで? 何がどうなって? 爽太がやったの? え? でも、あれ?」
「……」
「おい爽太! 痛てて……。お前、今何したんだ?」
「やっぱりこれって爽太がやったの? え? 何かしたの? ?」
「……」
「おい、答えろって。お前何したんだ?」
「……ムシャクシャ」
「お前がどういう気持になったかなんて聞いてねーよ。お前、明らかに何かしただろ! なんで音々がそこに倒れてるんだよ……」
「いや、だから……ムシャクシャして」
「爽太、あんまりふざけてると耳、捻るよ? 今、何が起きたの? 雷が鳴ったかと思ったら、なんでその人が倒れてるの?」
「何しやがったんだよお前。あの状況じゃ細切れにされて終りだっただろ? ちゃんと説明しろ、納得がいかねー」
「さっきから説明してますよ。ムシャクシャをしたんです」
『はぁ?』

 あぁ、そうだそうだ。僕は今さっき本気を出したんだ。だから紙咲さんが倒れているんだ。紙咲さんが倒れているから、じゅじゅさんは地面に倒れた。いや、落ちたというべきか。結果から、過程を憶測してみるけれど、細かい部分はどうにも埋まりそうにない。五年ぶりだというのに、この感覚は気分が悪いな。

「ムシャクシャをした。じゃ、分からねーだろ」
「そうそう! 全然、分からないんだけど」
「……あのですね、細かく説明すると長くなっちゃうので簡単に言うと、無味無臭の無に、距離を表す尺、それに者を付けて”無尺者”ですよ」
「益々意味が分からねーだろ」
「無尺者? 何それ? ?」

 説明しろと言われても、説明のしようがない。なぜならソレがどんなものなのか、自分でも分かっていないからだ。

「結果、結末しかないねん」
「?」
「何かをしよう。そう思ったり、考えたときには既に完了してんねん。普通は頭で考えてそれを身体に伝えて、そこからやっと動き出すんやけど、爽太は考えたり伝えたりするプロセスがまったくないねん。反応とか反射といったレベルとちゃうで? いきなり結果や結末になりよるんよ。だから”無尺者”って呼んでんねん。ネーミングセンス最悪やけどな」
「なんだそれ……。あのねお嬢ちゃん、もしそれが本当だとしてだ、そんな人間離れしてることが出来るとしたら、あいつは何者なんだよ? いや、お嬢ちゃんも何者なんだ?」
「だから”無尺者”ですよ、じゅじゅさん」
「だからそれは何者なんだよ。あのさぁ……お前ら二人……依り代なのか?」

 雨が更に強く降り注ぐ。ザァザァと、ザァザァと。

「違いますよ」
「じゃぁ、一体何者なんだよ? V2か、V3の依り代一体と、SWSの発動が出来る音々を一人で片付けたお前と、V1の依り代を一人で倒しちまうお嬢さんが、普通の人間だとは思えないね」
「ちょ、ちょっと近重さん……」
「小谷、悪いけどな、この二人が本部と無関係とはどうしても思えないんだよ。本部の内情に詳しいお嬢さんは、元々参加者でないのにここにいる。爽太は爽太で、思い返してみると不可解な点が多いんだよ」
「例えばどこが不可解でした?」
「死に対する恐怖感の欠如。他の奴の死に対する感情の起伏。普段は抜けているのに、確定的な部分で抜け目がない部分。それから、運力のゲームで見せた驚異的な運、あれはまるでどれが選択すべきカードなのか分かってたみたいだったぜ? それからさっきの音々に対する……、なんだ無尺者とかいうやつだっけ?」
「うーん。じゅじゅさん、それを全部を説明してたら夜が明けちゃいますよ。ねぇ、静香?」
「……あかん」
「え?」
「まだあかん」
「何が?」
「爽太! あんたまだ本気出しときや!」
「何で?」
「アホ! あんなおばさんぶちのめすぐらいなら、うちで間に合うわ! 久しぶりに本気出すんやろ? だから試運転させてやっただけ。ほら、さっさと本気出しときや!」

 ――ゴン。
 右手に振動が伝わってきて、初めて自分が動き終わったことを認識した。静香の後ろに向かって、僕はゴボウを突き出したらしい。突き出したゴボウに視線が追いつくと、そのゴボウの先に何かがある。それを目視してやっと、誰かの右手だと気が付いた。

「やはり、あなたはおかしな人です」
「……えぇと、誰でしたっけ?」
「今日はこれで三度目になりますね」

 暗闇の中から浮かび上がってくるように現れたのは、ブラックのパンツスーツを着た白髪の男。確か、オフィス荒らしだ。いや、違ったかもしれない。三度目になるとは何のことだろうか。あぁ、駄目だ。今はすぐに思考が閉じてしまう。

「私の気配を察知出来る人間がいるとは思いませんでしたよ」
「……」
「察知だけならともかく、三度とも妨害されているということに関しては、非常に興味深いですよ」
「あぁ、それはどうもどうも」
「予想通り、最後まで残ってますね。武器は棒ですか……。ふむ、材質はダマスカスみたいですね。それにしても棒を選択するとは、やはりおかしな人だ」
「お前、何者や?」
「それはこちらの台詞ですよ、レディ。あなたは今回のゲームの参加者ではない。朝は逃がしましたが、今度は逃がしません」
「寝言は寝てから言いや? 何で逃げなあかんねん、逃げるつもりならわざわざここにおらんわ」
「覚悟があるということですね。いいでしょう、お付き合いしますよ。……おや?」
「……はぁっ、はぁ。ぜ、全員……、首を切り取って、やるぅっ!」

 倒れていた紙咲さんが起き上がり、絶え絶えになりながら叫ぶ。「先に片付けなければならない案件があるようです」と白髪の男が言い終わると、静香の後ろにいたはずの男の姿が見えなくなった。視界が大きく動き出して、自分の身体が勝手に向き直ろうとしているのを認識した。そして視界の先には、白髪の男に首を掴まれて宙吊り状態になっている紙咲さんの姿が見えた。

「だっ、誰だ? ……参加者、じゃ、ない……奴が、また……増えてる。 どこから侵入し、て……、ぐっ、るんだっ! ? ……ぐぎぃっ!」
「十枚の承認もなく、スラッシュ……、ゲームでしたか? が開催されると知って来てみれば、本当にお粗末な内容でがっかりですよ。しかもあなたは、十枚にすら所属していない本部の構成員」

 宙吊り状態から投げ捨てるように腕を離すと、紙咲さんが地面に倒れる。

「がはっ……! はぁっ! はっ、はぁ……はぁ。……あんたこそ、何者なのよっ! ?」
「依り代を勝手に使用するなんて、大それたことを仕出かしましたね。仮に、この会場から依り代が抜け出て、一般人に被害が発生し、帝園グループが原因だということが知れ渡ったら、どう責任を取るつもりだったんですか?」
「責任? そんなこと、知らないわよっ! ? そんなこと、どこの誰かも分からない奴に言われたくないわ!」
「V3アガタ、V2ヤタノラス、V1アースラですね。どれだけ開発に時間がかかった代物か分かってますか? アガタとヤタノラスはまぁいいでしょう。しかしアースラはV1の中でも限りなくV0に近い依り代だったのですよ? それを破壊されてしまうとは、甚大な被害です」
「依り代なんていくらでも作られてるじゃない! 私は私の目的のために、利用できるものは全て利用しただけよ! ? とやかく言われる筋合いなんてない! 邪魔するなら、あなたの首も切り取ってあげるわっ! !」
「責任を負うつもりもなく、著しい損害のみを発生させたあなたには失望ですよ」
「うるさい! 私は私の目的を達成して、十枚に入るの! 十年遠回りした目的を達成するのよっ!」
「あなたが十枚に? 無理です」
「どこの誰だか知らないけど、あんたにそれを判断する権限なんかないっ! 私の邪魔をする奴は全員首を切り取って、切り刻んであげるんだからっ! ! アハハハハ! 死ね! 死ね! 死ね! 全員、私にスラッシュされなさいっ!」

 紙咲さんが立ち上がって左腕を上げようとした。しかし、再び白髪の男によって首を掴まれ宙吊り状態にされる。

「がはっ! はなっ、はっ……、離せっ!」
「あなたのスラッシュは、首と胴体でしたね」
「そ、そうよっ! 今すぐ、あなたも首と……胴体にスラッシュして、あげぇっ……」
「ちなみに、私のスラッシュは心と身体です」

 音もなく、紙咲さんの胸に白髪の男の右手が深々と突き刺さった。
 ゆっくりとその右手が抜き取られると、バケツをひっくり返したような鮮血が飛び散る。再び投げ捨てられた紙咲さんは、三度ほど痙攣してからまったく動かなくなった。白髪の男が高々と上げている右手に、握りこぶし大の何かが見える。それが紙咲さんの心臓だと気付いたときには、そのままの位置で握り潰されていた。
 ――中央広場の中心にだけ、真っ赤な雨が降る。

「掌握完了」



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スラッシュ/ゲーム - /64 -


ハコニワノベル

 視線の先で、白髪に赤黒い血の雨を浴びながら薄ら笑う男の姿が見える。その白髪の男が視線だけをこちらに向けると、言い知れない寒気がして、背骨まで震わせたような気がした。突然「爽太、左後ろ!」と静香が叫ぶ。視線の先にいたはずの男が姿を消している。静香の叫びの内容を理解するより前に僕の身体は動き終わり、構えたゴボウに白髪の男の右手がぶつかっている。視線をそちらに移すと白髪の男が再び口の端だけで薄く笑う。瞬きをしたあとには、既にその場所から男は消えていた。

「うちの右や! 次は上! 右斜め前! 爽太の真後ろ! もっかい左後ろ! ……どんくさい方のおばさんの真後ろ! うちの左! するどい方のおばさんの右前! うちの真ん前や!」

 言われたままに。言われると同時に。言われるよりも早く。僕の身体は動き終わっていて、ゴボウを振り下ろしたり突き出したりしながら、白髪の男の右手を防いだ。――ギンッと、まるで金属のような音を鳴らしながらゴボウを弾き、男が距離を取る。

「なかなか楽しませてくれますね」
「お前、何者やねん!」
「さぁ、何者でしょう」
「爽太! 本気出しっぱなしにしときや! こいつ、あんたみたいや。靄がかかったみたいに未来が読めへん!」
「未来を読む? ……なるほど、そういうことでしたか。しかし、未来を読めたとしても、私からは逃れられません」
「それはどうやろうな!」

 静香が真上に向かって矢を放つ。「レディ、それは威嚇か何かのつもりですか?」と表情を変えないまま白髪の男が聞いた。

「威嚇? なんや自分、脅したら尻尾巻いて逃げてくれるんか?」
「さぁ、どうでしょう」
「さっきのは威嚇とちゃう。威嚇っちゅうのは……、こういうやつや!」

 予備動作なく、静香がいきなり男に向けて矢を放った。矢は、音もなくまっすぐに男へと向かっていく。しかし、その矢を人差し指と親指だけで摘むように止めると「これぐらいでは怯えられませんね」と、無表情のまま男は言った。更に「威嚇するなら、そうですね……、これぐらいでないと」と退屈そうに言うと、目の前から白髪の男が消えた。
 ――なぜか、静香が焦っている。

「どこや! ? 見えへん……なんで? なんで見えへんねん! !」
「ここですよ」

 突如、静香の背中にぴったりと背中を合わせた状態で白髪の男が姿を表した。「どないなってんねん……」と、静香が震えながらポツリとつぶやく。白髪の男はまた口の端だけで薄ら笑いながら「SWSです」と冷たく言葉を発した。
 ザァザァと雨音だけの静寂に包まれる。

「SWS、小さな世界の物語(Small World Story)と呼んでましてね、十枚が開発した空間管理システムですよ。古くはハコニワ・システムとも呼ばれていた代物です」

 まるで踊るように軽やかに歩きながら、白髪の男が続ける。

「決められた範囲内であれば、ありとあらゆるもの全てを構築し創造することが可能なシステム。まさに小さな世界を構築してしまえるものです。そうですね、例えば時間を行き来する世界、小さなマシンが存在する世界、物語の中に入る世界、ある季節の世界、抜けられないアーケードの世界、雨と傘とカエルの世界、レールのように決して重ならない世界、約束の世界、宇宙空間を行き来する世界、様々な色の霧に包まれた世界。その数や種類は無限大。それらの世界はSWSを発動した者が、自由に構築することの出来る世界。更に、その世界の中ではありとあらゆるものを管理、制御することが可能です。例えば、こうやって”私以外の時間を止める”こともね」

 言い終わるのと同時に男の姿が見えなくなる。「止まった時の中では、あなたに未来を見る術はありませんよ。レディ」という言葉と共に、今度は静香の目の前に男は現れた。
 思うより先に、考えるよりも先に身体がそこへ向かう。知覚するよりも早くゴボウは振り下ろされていた。確かに振り下ろされたのだけれど、ゴボウは虚しく空を切っている。中央広場の中心から再び声が聞こえる。

「レディ、あなたはテンゲンですね? まさかこんな場所でロクジンの一人に出会えるとは思いませんでしたよ。あなたが未来を読み、そこにいる私の気配を察知できるおかしな人に指示を出して、私の攻撃を防ぐ。中々考えられた、素晴らしいコンビネーションです。しかし、未来を読むのと同じく、どれだけ早く動けたとしても、止まった時の中では無意味です」
「あの、それならあなたが時間を止める前に、なんとかできるんじゃないですか?」

 言いながら身体が動き出す。それに身を任せて突き出されたゴボウには、かするほどの手応えも感じられなかった。

「無駄です。既にこの上坂噴水公園の敷地内は、私のSWSの中ですよ」
「そんな馬鹿な! SWSはごく限られた範囲内でのみ発動可能なシステムのはず……。こんな広さで発動することなんて……」
「あなたは確か……、近重純……でしたか。あなたのような元本部の人間であれば、それがどれだけ絶望的なのか理解頂けると思いますよ。もちろん、嘘やハッタリではありません」
「あ、あり得ないだろ……」
「信じられないのも理解できなくはないですが、これは事実です」
「あ、あんた何者なんだよ……」
「答える必要はありません。なぜなら、十枚の承認なく開催されたスラッシュは闇に葬り去るべき案件ですので、ここにいる皆さんはもとより、今回のスラッシュ/ゲームに参加した全員、歴史という記録、記憶から排除させて頂きます。もちろん、私の障害に成り得そうなロクジンである、レディも同様です。……ククク。それでは皆さん。ごきげんよう。そして、さようなら」

 視界から男が消える。意識的に身体を静香のいる場所へ動かそうとした。視界の先、静香の後ろに男の右手が見えている。静香はまだ気付いていない。急げ、もっと早く、もっと、もっと早く。動け、動け、動け。
 思いと裏腹に身体は動いてくれない。コマ送りのスローモーションを見せられているみたいだ。男の右手が徐々に、静香の背中に近付いていく。
 見えていても、分かっていても、気付いていても何も出来ないのか? こんなことならもっと早くから本気を出しておけば良かったじゃないか。無駄に考えて、無駄に思考して、それで何を得た? それで何を守った? それで何を成した? 辞めてくれ、辞めてくれ、辞めてくれ!
 ――静香を殺すなら、僕から殺してくれ!

「ぐっ! ?」

 男が突然、手を引いて距離を取った。その右手に矢が突き刺さっている。

「なっ、馬鹿な……」
「馬鹿とちゃうわ、アホンダラ」
「レディ……、一体何を?」
「そんなもん決まってるやろ、未来を読んだだけや」
「しかし、止まった時間の中は……」
「その矢、あんたが威嚇やと思ってたやつや。あんた、見るからに悪趣味な奴やから、攻撃の瞬間に時間を元に戻したんやろ? 止まった時間の中で殺すよりも、実際の時間の流れの中で相手を殺す方が充実するとかそんな理由ちゃうか? 真意は分からんし、知りたいとも思ってへんけど、私の背中に伸びてくる下衆な手の未来が見えたからな、その瞬間に落ちてくるようにえらい無理やり放っといたで」
「……ククク。素晴らしい! ロクジンとはここまで素晴らしいのか! しかし、それと同時に恐ろしい存在ですね。余計に、余計にこの手で殺しておきたくなりましたよ、レディ。次は止まった時間の中で仕留めて差し上げましょう」
「そら無理や」
「ほう。それはまた確信的な発言ですね。一応聞きましょうか……。どんな未来を見て、どう確信したのかを」

 男は無造作に右腕に突き刺さった矢を引き抜きながら、静香に質問をした。それに対して、静香は僕を指さした。

「意味を測りかねますね……」
「あそこに、いかにも無責任でズボラで、人の迷惑も考えず、面倒事には頭から突っ込むような男がおるやろ」
「ええ、確かに。しかし、それが何か?」
「あんたの次の攻撃は、あのアホ丸出しの男に止められる」
「レディ。それは信じ難い未来ですよ」
「信じる信じひんは関係ないわ。うちにはそう見えたってだけやからな」
「それが本当に訪れる未来かどうか、すぐに試して差し上げましょう」



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スラッシュ/ゲーム - /65 -


ハコニワノベル

 男が視界から消える。
 ――いや、消えてはいない。さっきと同じくコマ送りのスローモーションだ。雨がただの水滴にしか見えない。コマが進むごとに、男も移動していく。静香に向かって一直線に移動していくのが分かる。意識的に動けと身体に命じてみても、やはり動かない。このまま、静香が殺されるのを黙って見ているしかないのか。何のために本気を出したんだ。何のために本気を出さなかったんだ。何もできないまま、男の右手が静香の心臓へと伸びていく。静香は目を閉じたままだ。瞬きすら許されず、殺されてしまうのか。

 辞めろ!
 動け!
 止めろ!
 早く!
 
 辞めろ! !
 動け! !
 止めろ! !
 早く! !
 
 辞めろ! ! !
 動け! ! !
 止めろ! ! !
 早く! ! !

 ――視界が歪む。
 ――思考が歪む。
 ――意識が歪む。



   ◆



「動け! 動けよ! 何、ぼーっと見てるんだよ!」

(動けるわけないだろう。時間が止まっているんだから)

「うるさい!」

(動けないって分かってるくせに)

「うるさい!」

(どうして無駄にあがこうとするのさ? 結果は変わらないよ)

「うるさい!」

(もう諦めなよ)

「……」

(このまま僕たちも殺されるんだよ。よく頑張った方じゃないかな)

「……」

(あの子を守れなかったのは残念だったけどね)

「……だ」

(それにしても未来を読むなんて、バケモノじみてるよね)

「……くだ」

(あの子、こうなること分かってたんじゃないかな)

「……そくだ」

(あの子が未来を見ても、君が本気を出しても、こういう結果だったってことだね)

「……くそくだ」

(これで、君と僕もお別れか)

「……約束だ」

(さっきから、何を言っているんだい?)

「……との約束だ」

(まだそんなこと言っていたのかい?)

「……」

(もういいんだよ、あの子が殺されたらその約束も消えて無くなる)

「……消えないし、無くならないさ」

(何を根拠にそう言い切れるのさ)

「これが、これこそが……、”千鶴との約束”だからね」

(だからもう、何をしても、何を考えても手遅れだよ)

「僕が本気を出さない理由、本気を出す理由」

(はぁ?)

「思い出したんだよ」

(何をだい?)

「僕が本気を出さない理由。それから本気を出す理由をだよ」

(それを思い出してどうなるって言うのさ)

「ここでなんとか出来ないなら、千鶴は僕と約束してないよ」

(それでも、時間を止められてたらどうにもならないさ)

「本気で本気を出してみるよ」

(なんだよそれ。そんな精神論はやるだけ無駄だと思うよ)

「やってみるさ」

(……まぁ、止めはしないけど)

「止められないさ。誰にもね」

(止まらないんでしょ。君は)

「大変だね、君も……」

(君も、大変だね……)

『まぁ、どっちもどっちだけどね』



   ◆



 右手のゴボウに手応えが走る。視界をゴボウの先に移すと白髪の男の右手があった。

「! ?」
「おぉっ! あ、すいません。自分で自分に驚いて大声を出してしまいました。いやはや、これはこれは、どうもどうも」

 男が三度距離を取る。雨は相変わらず水滴のままで、雨音すら聞こえない。

「時間は止まっているというのに……。これはどういうことですか? おかしな人」
「一応、本気って奴を出してみたんです」
「本気? それはあなたの思考を挟まずに動く、特殊な行動術のことですか?」
「無尺者って呼んでます」
「ムシャクシャ……無尺者ですか。頂けないネーミングですね。いや、そんなことはまったく関係のない事由です。あなたが今もこうして、止まった時間の中を動いている理屈になりません」
「つまりですね、今までは無意識に身体が動いていただけだったんですけど、それを意識的にやってみたら止まってる時間の中でも動けたと。まぁ、こういう理屈です」
「……意識的に?」
「ちょっと自分でも初めてなものでして、これをどう説明していいのか分からないんですけど。意識して無意識を、無意識に意識をするんです」
「それは矛盾になりませんか? まったくもって意味不明ですよ、おかしな人。この事象の原因は、私がどこかで無意識に時間の制約を緩めたことによって、たまたま発生したのかもしれませんね……。そんな偶然は二度と起きませんがね!」

 再度、右手のゴボウに手応え。「くっ!」という声と共に、白髪の男が無表情と薄ら笑い以外の、悔しさと困惑の入り交じったような顔を初めて見せた。

「完全に時間は止まっているというのに……。余計に理解出来ませんね」
「いやいや、そもそも時間を止めることの方が、僕には理解できませんけどね」
「SWSは完全にして完璧な空間管理システム。作られた世界の影響を受けないようにするには、その世界の外に出るか、作られた世界よりも大きな世界で覆い返すか、発動した本人による解除、もしくは発動した本人を殺すなり気絶なり、意識を保てなくする方法以外にない。それなのにあなたは、世界の中にいながら世界に縛られていない……。バグのような存在ですね」
「いやぁ、あんなブサイクな犬とは似てないですよ」
「?」
「あー、伝わりませんでした? えぇと、パグですよ。パグ。ほら犬ですよ、犬。犬種ですよ」
「相変わらずのようですね、おかしな人」
「とりあえず、同じ条件で動けるのだとすれば、僕の方に分がありますよ。まだ続けます? 全部叩き落としますけど」
「分かっていませんね。あなたが世界のルールに縛られないとしても、私にはルールが適用されます。例えば”私の時間だけ加速させる”といったようにね」

 男が移動した瞬間にゴボウを自分の右側に突き出す。すると、ドンという重たい衝撃が腕に伝わってくる。突き出したゴボウの先で、男が腹部を抑えながら血を吐いた。

「がっ! な、何?」
「あの、大丈夫ですか? 一応言っておきますけど、別に速くなってませんでしたよ? さっきの」
「ど、どう言うことですかね、それは」
「いや、どうと言われても事実ですしね。いやぁ、それにしても、この無防備な静香は可愛いなぁ。せめて僕と一緒にいるときはこんな感じだと嬉しいのに。ね、そう思いません?」
「その無防備状態の姿を、永遠にして差し上げますよ」
「だから、遅いって」

 面倒なので白髪の男の右手を掴んでみた。すると、雨が再び動き始めザァザァと雨音を奏でる。どうやら時間が動き出したみたいだ。掴んだままの白髪の男は「これは……いったい」とか「強制解除?」だとか、いろいろとつぶやいているので放置しておいた。

「静香、どう? どう? かっこよかった? 惚れた? 惚れ直した?」
「……爽太、もっかい」
「ん?」
「……もっかい来よるで、あいつ」
「あぁ、それなら大丈……、夫! !」

 背中に伸びた白髪の男の右手をゴボウで防ぐ。「やれやれ、ですよ」と言ってみると「……ククク」と男は楽しそうに笑った。そして、しばらく笑ってからふいに「辞めにしましょう」とも言った。言ったあとで、背中を向けて歩き出す。その後姿には既に殺気らしいものは感じられない。

「どういうことやねん」
「まさか、こんなことになるとは思ってもみませんでした。これ以上お粗末なスラッシュに便乗して楽しむのは無粋と判断しただけです」
「あの、ちなみにですけど、こんなことってどんなことですか?」
「まさか、ロクジンが二人も揃うとは思ってもみませんでしたよ」
「なんやねん、そのロクジンて」
「あなたはテンゲンですよ、レディ。そして、おかしな人。あなたはジンソクですね」
「ですね……と言われてもなぁ。とりあえず言っておきますが、僕たちはニンゲンです」
「ククク。どうやら私にはまだまだ楽しめることがありそうです。おかしな人、レディ。あなた方お二人とは、また別の日にお会いしましょう。今度は私がきちんと準備をしてお招きしますよ」
「そんなんお断りやわ」
「それは、どうでしょうね」
「どういう意味や?」
「断れるとでも思ってらっしゃいますか? レディ。……ククク」
「……! ?」
「おや? 何か素敵な未来でも見えましたか」
「お、お前……、最低やな」
「お褒めに預かり光栄ですよ、レディ。さて、お粗末なスラッシュではありましたが、成果としては申し分なしです。あぁ、名前を覚えていませんが、あの本部の構成員をスラッシュしたのは尚早でした。これだけの成果が上がるとは……。まぁ、依り代を三体駄目にしたので仕方無しとしましょう。それから、生存者の皆さん。あなたたちは運がいい。これにてスラッシュ/ゲームは終了としましょう。今、生存している皆さんは勝ち抜けで処理致しますよ。私は今、とても機嫌が良いのでね。ククク!」

 白髪の男が「それでは、ごきげんよう」と言い、まるで闇に溶けるように消えてようとする。ザァザァと降りしきる雨の中、まるでその姿が道化師のようにも見えた。

「あ、ちょっと待ってください」
「……なんですか? おかしな人。気分良く帰ろうとしているんですが、内容によっては気持ちが変わりますよ?」
「やめとけ爽太! 何もしなくても帰ってくれるのを、わざわざ引き止める必要なんかないだろ」
「ククク。流石は近重純、冷静な判断です。さて、どうしますか? おかしな人。それでもまだ私に何か?」
「え? そりゃありますよ」
「爽太! ……この馬鹿野郎」
「ククク! そこまでのリスクを冒してまで、いったい何があるのです?」
「あのですね、三つ質問があります」



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スラッシュ/ゲーム - /66 -


ハコニワノベル

 ザァザァという雨音の中で「ククク、いいでしょう。三つだけ、お答えします」と薄ら笑いのまま、白髪の男はこちらに振り向いた。表情は笑っているけれど目は笑っていない。そしてそのままの表情で「四つ目の質問がされた場合、血の雨が降ることになりますがね」と楽しそうに言った。

「それじゃぁ早速、一つ目なんですけど……」
「どうぞ」
「あなた何者ですか?」
「そう言えば、名乗っていませんでしたね」
「名乗ってないですよ。未だに僕の中ではオフィス荒らしという認識が強いですし」
「ククク。確かにオフィス荒らしと思われるのは、私としても心外です。いいでしょう、お答えします。私の名前は二把咬、尊と申します」
「にわかみ、みこと……ね。で、何者なんですか?」
「それは、二つ目の質問と捉えてよろしいですか?」
「んー……。それならその質問はいいや」
「そうですか。では、二つ目をどうぞ」

 どうやら完全にこちらに対して攻撃しようという気持ちはないらしい。きっとそれも、今に限った話だろうけれど。ついさっきまで感じていた、あの背筋が震えるほどの殺気は感じられない。それに、この段階で静香が何も言ってこないのだからきっと大丈夫だろう。――大丈夫だよね? 心の中で聞いてみたけど、静香は答えてくれなかった。

「……爽太、もう辞めろ」
「? どうしたんですか、じゅじゅさん」
「そいつとそれ以上しゃべるな」
「どうしてですか?」
「……もう関わるな」
「あの、二把咬って人を知ってるんですか?」
「……し、知らない」
「なら別にいいじゃないですか。僕にはあと二つ、どうしても聞いておきたいことがあるんですよ」
「あのな、私だって正確には知らない。知らないが、二把咬と言えば……」
「おっと、近重純。それ以上のおしゃべりは禁物ですよ。私が今発言を許しているのは、そこのおかしな人だけです」
「……くっ」
「ククク。理解が早い人は嫌いじゃないですよ。さて、二つ目はどうしましたか? どうしても聞いておきたいのでしょう? それとも、私を引き止めるだけの時間稼ぎだったりするんですかね」
「違いますよ」
「そうですか。少し安心しました。ですが、あと五分とさせて頂きましょうか。無制限に待たされるのは非効率ですので」
「なかなかケチですね」
「こちらも忙しいのですよ。さぁ、二つ目をどうぞ」
「二つ目は……、どうして真樹さんを殺したんですか?」

 視界の中でミッチー先輩が大きく動いた。落ちていたままの槍を拾って構えながら「爽太、本当にこいつなの! ?」と叫んでいる。ミッチー先輩をなだめるように手で合図しつつ、視線の先は白髪の男を捉えたままにしておく。

「真樹? それはいったい誰ですか?」
「女性、日本庭園、滝の上」
「あぁ、あの女性のことですか」
「あなたでしょ?」
「どうしてそう思うのですか?」
「そこの人と同じなんですよ」

 指を指す。その指先が指し示す先に、雨と血が混ざってできた大きな水たまりの中で、うつろな目を開いたままの紙咲さんが横たわっている。そして紙咲さんの胸には、直径十数センチの穴が空いているのが見える。あのとき、真樹さんの胸に空いていた穴に酷似している。

「なるほど」
「あなたでしょ?」
「ククク。ご名答です」
「質問に答えて下さいよ。どうしてですか?」
「あの女性の願いが危険だったからです」
「願いが危険?」
「あの女性の願いは”夢の中で逢いましょう”でした。困るんですよ”夢の中”という願いは」
「どういう意味ですか?」
「逢おうと思えば、故人にでも逢えることになるわけですからね。例えば、帝園グループの過去を知っている人と逢われたら、面倒になるのが目にみえています」
「いや、真樹さんはそこまで考えていなかったはずですよ」
「それは関係ありません。可能性がある。それだけで十分です」
「……」
「もう少し言っておくと、あの女性といつも一緒にいた、もう一人の女性も排除する予定でした。しかし、私が手を下すまでもなく、アガタに喰われてしまいましたね」
「それは……、朋美さんのことですかね? それも願いが関係してるんですか?」
「そうです。その方の願いは”願いが叶う”というものでした。無尽蔵に願いを叶えられては、帝園グループの被害も甚大なものになりますからね」
「……なんとなく、あなたがどういう人なのか分かりましたよ。じゅじゅさんが止める理由も、なんとなくですが、理解しました」
「ククク。あなたは見た目と普段の言動からは想像できませんが、頭のキレは良いみたいですね」
「なんですか、その頭のキレだけは良いみたいな言い方は。失礼だと思いますよ、まったく」
「これは失礼。しかし一番恐ろしいのは、この状況下であっても軽口を叩けるその度胸です。ククク、益々楽しみですよ。あなたみたいなのと再び相まみえるのが」
「そうですか。まぁ、いいや。……んーと、とりあえず質問は以上です」
「……それは冗談のつもりですか? あなたは三つ質問があると私を引き止めたんですよ?」
「冗談? まさか、そんなつもりはこれっぽっちもないです」
「と言うことは、三つ目の質問はそもそも無かったということですか……。少しガッカリですね」
「何を言ってるんですか」
「?」
「三つ目の質問は既にしてますよ。だから答えて下さい」
「既に? ……! ククク。なるほど、そういうことですか。それであれば”心配しないで下さい。私が保証しましょう。”と回答しておきましょう」
「それを聞いて安心しました」
「最後の最後まで抜け目の無い人ですね、おかしな……。そうだ、こちらも一つ質問させて頂きましょう」
「なんですか?」
「レディと、あなたのお名前をお聞きしたい」
「……だってさ、静香」
「七ノ宮静香や」
「これはこれは、ありがとうございます。レディ、以後お見知りおきを」
「お断りしたいところやけどな」
「ククク。さて、それからおかしな人、あなたのお名前は?」
「爽太」
「……フルネームでお答え願えますか?」
「僕の名前は……」

 口を開くと一瞬の閃光のあと、ほぼ同時に雷鳴が轟いた。

「……爽太」
「ククク、覚えましたよ静香さんに、爽太君」
「馴れ馴れしいわ。気持ち悪い」
「そうだそうだ! 馴れ馴れしいぞ、みこっちゃん」
「一応確認しておきますが、みこっちゃんというのは……」
「え、尊って名前なんでしょ? じゃぁ、みこっちゃんでいいじゃないですか」
「そちらこそ、馴れ馴れしい。これはお互い様というやつですか……ククク、しかし悪い気分じゃない。いずれにせよ、またお会いしましょう」
「それじゃぁね、みこっちゃん。出来れば二度と会いたくないけど」
「ククク、その願いは残念ながら叶えて差し上げられませんね。……それでは皆さん、ごきげんよう」

 白髪の男が溶けるように闇に消えて行った。さっきまでそこにいたはずなのに、まるで最初からいなかったようにも感じる。少しだけ伺ってみたけれど、気配はまったく感じなかった。全身から力が抜けて「やれやれ」と口からこぼれたのと同時に、その場に座り込んでしまった。
 ザァザァと降り続いていた雨は、さっきの雷鳴のあとから少しずつ弱まってきている。

「爽太、あんた大丈夫なの! ?」
「ミッチー先輩、ちぃーっす」
「ちぃーっすじゃなくて、……というか他のみんなも大丈夫?」
「一番大丈夫そうなのは小谷みたいだな」
「あれー? じゅじゅさん随分疲れてません? いつもなら颯爽と登場するとこですよ、ここは」
「タコ、こっちだってボロボロなんだよ、誰かのせいでな」
「もしかしてそれ、僕のせいだって言いたいんですか?」
「そりゃそうだろ、お前がそのなんだったっけ? ムカムカだとかムラムラをさっさと使ってれば、私がここまでボロボロになることはなかっただろ」
「ムシャクシャですよ、無尺者。とある深い事情があってですね、使えなかったんですよ。まぁ、ムラムラなら基本的に毎日してますけど」
「出し惜しみか? 辞めろよそういう主人公っぽいこと」
「僕はいつでも主人公ですけどね」
「あの、あのね、あのぉ、そのね、爽太」
「なんですか? ミッチー先輩」
「その子は誰なのかなぁ? もしかして……彼女?」
「え? あぁ、違いますよ」
「そ、そそ、そうなんだ。良かった……あ、じゃなくて、そうだったんだー、へぇー。だったら誰なの? 余計に気になるんだけど……」
「ただの婚約者ですよ」
「へぇ、婚約者なんだ。ふぅーん……って、えぇ! ?」
「お前なぁ、どう見てもこの子、十代だろ……? 犯罪じゃないか?」
「十八や」
「十八! ? もしかして高校生?」
「せやで。三月で卒業やけどな」
「ほんとにこいつの婚約者なのか?」
「……それは、そ、そー、そうやけど?」
「……」
「おい、小谷! どうしたんだ? おい! しっかりしろ!」
「ミッチー先輩、何やってるんですかまったく」
「小谷! おーい、小谷? 聞こえてるか? 気絶しやがった、まったくなんなんだよいったい。……あ! そう言えば……」
「どうしました?」
「ねぇ、お嬢ちゃん」
「なんや?」
「あなたさっき、私のこと”おばさん”って呼ばなかった?」
「は? 空耳違う?」
「そうよねぇ、そうに違いないわよ……ねぇっ!」
「痛い……。なんで、僕がヘッドロックされないといけないんですか?」
「お前の未来の奥さん、なかなか度胸が座ってるじゃないか」
「……でしょう? って、痛いんですけど」

 その後、しばらくして雨は上がり、どこからともなく現れた大量の本部社員によって、いわゆる後片付けが行われた。噴水公園内の破損した部分はそのままになったけれど、あちこちに散らばっていた遺体や、依り代だったものなどは綺麗に痕跡が消されてしまった。それから、最後まで残っていたミッチー先輩に長谷川さん。三好に高畑、森本部長とルー姉さんとじゅじゅさん。黒瀬さんとのんさん、それから重症ではあるけれど智子さん。更に僕と静香の十二人は、有無を言う暇もなく、本部社員によって全員一緒に病院へと搬送された――らしい。
 僕の記憶はこの辺りで一度途切れてしまっている。



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スラッシュ/ゲーム - /67(最終話) -


ハコニワノベル

 目が覚めて驚いたのは、泥のように眠っていたように感じているのに、翌日の昼だったということと、今回の騒動がまったくもって世間に露呈していないことだ。あれだけの死者を出して、あれだけの破損や被害があったにも関わらず、新聞はおろかニュースや、ネットに至るまで、どこを探しても情報らしきものは出まわっていなかった。まるで、昨日一日が夢だったのかと思うぐらいだ。それと、僕があれだけ活躍したという事実が闇の中に葬られるのは、どうにも納得がいかない。
 更に納得いかないのは、僕が入院している病室が六人部屋で、三好と高畑、あとは全員おじいさんとの同部屋ということだ。比較的軽症で済んだミッチー先輩と、ほぼ無傷の静香は入院の必要がなく、重症だった智子さんは集中治療室。残りの六人は森本部長と長谷川さん、ルー姉さんとじゅじゅさん、黒瀬さんとのんさんがそれぞれ二人部屋ということらしい。全身を包帯で巻かれた三好と高畑がそう言っていた。
 そして、これらを軽く超えるほど理解できないことがある。それは今、目の前で僕の検温をしてくれようとしている看護師が、ミッチー先輩だということだ。

「おっ、爽太目が覚めたんだ。元気ー? はーい、今から検温するからねー」
「何してるんですか?」
「ん? 検温だけど?」
「いや、そうじゃなくてその格好……、コスプレ?」
「何言ってんのよ。お手伝いよ、お手伝い」
「いやだからって、勝手にしたらマズいでしょ」
「大丈夫。私、昨日からここの病院で働いてるから。丁度さぁ人手不足だったんだって! 私も仕事なくなっちゃってたし、調度良かったよ。うん」
「それでもそんなに急に働けるもんなんですか?」
「大丈夫、大丈夫。だってここ、私の実家だしね」
「はぁっ?」

 ベッドに書かれている病院名を確認すると、上坂西病院とある。ここらじゃ一番大きな病院じゃないか。確か、両親が地元で医者をやってるとか、なんとか言っていたような気がするけれど、地元ってここらのことだったのか。間違いなくいいとこのお嬢さんじゃないか。

「あの、検温ならカーテン閉めなくていいと思うんですけど……」
「あぁ、暑いなぁ」
「今、冬ですよ? 暖房そんなに効いてないですし、暑くはないでしょ……って、ちょ……なにボタン外してるんですか……」
「あのさー、婚約者がいるってだけで、婚姻届けはまだ出してないんだよね?」
「まだ出してないですね」
「それならまだ、私にもチャンスあると思うんだ……」
「残念やったな、そんなチャンスはないで? おばさん」
「えっ! ?」

 思いっきりカーテンが開かれると、そこに無表情の静香がいた。隣のベッドから三好の「お、百点に限りなく近い美少女! ねぇ、君。俺と付きあわない?」という声が聞こえてうんざりする。そして、今この状況にもうんざりだ。

「静香ちゃん、……それでも私、諦めないからね」
「まぁ、好きなだけ誘惑したらええけど……、命の保証はせえへんからな、爽太の」
「あ、やっぱりこっちの命なんだ」
「あ、た、り、ま、え、や、ろ?」
「それでも諦めないからねーだ」

 ミッチー先輩はボタンを外したままの素敵な格好で、どこかに行ってしまった。そして目の前には、ものすごく冷たい視線を突き刺してくる、とてもとても愛しい人だけが残っている。あぁ、僕の命は大丈夫だろうか。

「久しぶり、静香」
「いつまで寝とんねん」
「さっき起きたとこだけどね」
「で、あのおばさんに誘惑されたんが、そんなに嬉しかったんか?」
「へ?」
「ちょっと心揺れたんと違うか?」
「何で?」
「そ、その……、ソレ」
「あぁ、コレ? コレは男の生理現象だから、気にしなくていいよ」
「誰もそんな気持ち悪いとこの話してへんやろ!」
「危なっ! 静香、病室内で弓射るのよくないと思う。ほら、周りに人もいるんだからさ」

 隣から「百点に限りなく近いけど、俺は遠慮しとくわ」とか聞こえたあと、静香が弓を引くのを止めるのにかなり手間取った。どうにもご機嫌が悪いらしい。なぜだろう、思い当たるふしはまったくないのだけれど。

「どうしたの? ご機嫌斜めだね」
「ソレ、さっき付けられたんか?」
「ん? どれのこと?」
「とぼけんなや!」
「いや、本当に何の話?」
「……なんで左頬にキスマーク残してんねん、死にたいんか?」

 静香がカバンから取り出した鏡を突き付けられて、初めて自分の左頬にキスマークが残っていることに気が付いた。多分、僕が眠っている間に、勘違いを通り越して自己催眠に陥ったミッチー先輩が付けたのだろう。やれやれだ。

「言い残したいことがあるんやったら、今のうちやで?」
「おぉ……、七ノ宮の巫女さんじゃ」
「え?」

 その後、同じ部屋のおじいさんが呼び寄せたと思われる、病院中のおじいさん、おばあさんが静香を取り囲み「ありがたや、ありがたや」と唱えだしてくれたおかげで、僕の命は助かった。そのまま静香に捕まっていると命の危険なので、他の病室へ遊びにいくことにする。「爽太、待ちぃや! ……だから弓は新年になってからやって言うてるやろ!」しめしめ、静香は身動きが出来ないらしい。これはおあつらえ向きだ。
 まずは集中治療室へ移動して中を伺う。が、中は見えない。こっそりと中を覗いてみると、様々な機器を取り付けられた智子さんの姿が見えた。在命であればそれに越したことはない。たまたま通りかかった看護師の方に話を聞いてみると、智子さんは怪我をした直後に運び込まれたので、一命を取り留めたらしい。のんさんが作り出した時間のゆっくり流れる世界のお陰だ。
 その足で黒瀬さんとのんさんの病室へ向かったものの、中に入るのは辞めた。廊下まで聞こえるイチャイチャした声と雰囲気だけでお腹が一杯になったからだ。まったく、そういうのは退院して家に帰ってからにしてもらいたい。
 次に、森本部長と長谷川さんの病室へお邪魔して、お茶とカステラを頂いて軽く話をした。森本部長はしばらくの間はマナー教室の講師になるらしい。妖精さんはゆっくりと趣味でもあるガーデニングをしながら、これからのことを考えるそうだ。
 最後に残った病室には、別に入る必要性はないと思って一度は通り過ぎた。しかし、一応形だけでもお見舞いしておくかな、などと考えたのが間違いだった。まぁ、こうなることは分かってて病室に入ったのだけれど。

「お、やっと目覚めたのか」
「いい所に来たね、爽太」
「あ、お元気そうでなによりです。それじゃぁ……」
「誰が逃がすかよ! おいルティ、やれ!」
「任せなさいっ!」

 簡単に、というかほぼ抵抗なく捕まってしまったけれど、一つだけ言っておきたいことがある。病室でムチを唸らせるのはどうかと思うんだ。

「あのさ、私もお前に質問があるんだけど、いいよな?」
「僕もじゅじゅさんに聞きたいことがありますよ」
「なら丁度いいじゃないか、まずこっちから聞くぞ。あいつにした最後の質問ってのはなんだ?」
「厳密に言うなら、あの場面では一つ目ですね」
「はぐらかすなよ、メンドくせぇ」
「確認ですよ、確認」
「確認? 何のだよ」
「願いを叶えてもらえるかどうかですよ」
「……ふぅん。なるほどな、だから”心配しないで下さい。私が保証しましょう。”か……」
「そうらしいですよ。じゃ、こっちも聞きたいんですけど」
「なんだよ」
「依り代、V2、V1って何ですか? 元、帝園グループ本部第二研究室室長殿」
「また下らないことだけはしっかりと覚えやがって、気持ち悪いな」
「答えましょうよ。じゃないと、言い振らしますよ?」
「更にメンドくせぇこと考えるなよ。ったく……、依り代ってのはな、作り出された神だよ」
「神ですか。じゃぁ、V2とか V1っていうのは?」
「verging on god。つまりどれだけ神に近いかって意味だよ。数字が小さい程、神に近いってわけだ」
「へぇ、そうだったんですか。あぁ、だからあの三本腕のバケモノがV1なんですね。あと、ちなみに本部に所属していたときに、じゅじゅさんが依り代を作ってたんですか?」
「……まぁな」
「そうなんですか。あ、SWSでしたっけ? あれって、じゅじゅさんは使えないんですか?」
「私がいたころは、あんなに簡単に、しかも安定して発動できるような代物じゃなかったんだよ。あれは私が抜けてからの技術だろうな、呼び名も変わってたし。私がいたころはハコニワ・システムという呼び名だったさ」
「ふむふむ、ついでにもう二ついいですか? 室長」
「おい! 二度と、私をそう呼ぶな。それを誓うなら、一つだけ答えてやってもいいぞ」
「誓いますよ、じゅじゅさん」
「やけに素直で気持ち悪いな……。まぁ、いいか。で、なんだよ?」
「どちらか答えたい方でいいんですけど、一つは十枚ってなんですか? それともう一つは、二把咬のみこっちゃんのことなんですけど」
「……それなら、十枚にしておくかな」
「じゃぁ、それで」
「十枚ってのは、帝園グループ本部を指揮する、いわゆる上層部だよ」
「へぇ。本部の上がいるんですか……」
「ちなみに十枚ってのは総称で、正しくは十のグループで構成されている。呼び名としては一族だけどな。ま、これ以上は下手に知らない方がいい。だから答えてやるのはここまでだ」
「まぁ、大体分かったんで許してあげますよ、じゅじゅさん」
「生意気だな。しっかしまぁ、尊敬するわ」
「何がですか?」
「いや、ルティに逆さ吊りにされた状態で、平然と会話していることにだよ」
「これぐらい、僕みたいな紳士中の紳士にとっては当たり前ですよ」
「はっ、何が紳士だ」
「あの、聞かないんですか?」
「何をだよ」
「僕がバケモノなのかどうかってことをですよ」
「はぁ? 何を言い出すかと思ったら、下らねぇ」
「いやぁ、普通は聞くんじゃないですかね。昨日も一度聞いてきたじゃないですか、依り代なのかどうかを」
「……まぁ、あのときはな」
「じゃぁ、何で今は聞かないんですか?」
「お前だって、私が過去に犯したバケモノじみた部分を聞こうとしねぇじゃねーかよ」
「それはほら、僕が紳士中の紳士だからですよ」
「はっ、お前なんかに気を使われてると思うと、おぞましい気持ちになるわ」
「僕はいつだって、周りに気を使っていますよ……。というか、そろそろ降ろしてもらえませんか? ルー様。そろそろ血流がヤバいんですけど……」
「それが人にものを頼む態度なのかぁい? イケナイ坊やじゃないか、もっとお仕置きが必要だねぇ」
「いやほんと、マジで勘弁してください」

 そこから解放されたのは、何度か意識が飛んだあとだった。解放されて病室を後にしようとドアに手をかけると「そう言えば、どうなった?」とニヤニヤしたじゅじゅさんが聞いてきたので、「何がですか?」と聞き返す。すると、とんでもないことを言ってきた。

「修羅場になったか? お前の左頬に付けた、私の熱いキスマークのおかげでさ。小谷の背中もかなり押しといてやったぜ」
「超人的な嫌がらせですね、じゅじゅさん」
「おばさん呼ばわりする方が悪いんだぜ」
「気にしてたんですね……」
「ま、頑張ってくれたまえ、色男君」

 僕の入院生活は、やたらと積極的に迫ってくるミッチー先輩と、毎回ナイスタイミングでそれを阻止しにくる静香との板挟みで大変なことになった。まったく、あの企画部一課の課長め、とんでもないクリスマスプレゼントをくれたもんだ。入院は十二月三十日までのほぼ一週間で、なんとか静香に命を取られることなく、最後は無事に退院することができた。
 じゅじゅさんが仕組んだ三角関係は、最終的に静香の目の前で、ミッチー先輩にきちんと断りを入れることで終りを告げた。最後の最後までじゅじゅさんはずっと笑いっぱなしで、いつかきちんとした仕返しをしようと思う。――いや、辞めておこう。何十倍にもなって返ってきそうだ。
 ちなみに、僕はこの三角関係の騒動中に、静香から全身にキスマークを付けられたのだけど、それは秘密ということになっている。だからこの話は他言無用だ。



  十二月二十三日、スラッシュ/ゲーム開催日の二十三時に場面は戻る。
 誰もいないKGCの二階フロア内に、一台だけ電源が入れられたままのPCがある。その画面にGSからのメッセージが表示されている。



   ◇



 スラッシュ/ゲーム 最終勝ち抜け参加者 各位


 黒瀬 渉(クロセ ワタル)
 
 願い:運がなくても報われるんだ!
 
 願いが抽象的なため、当面の生活(新しい働き先、家、食料、衣類)を帝園グループが保証します。


 小谷 美知恵(コタニ ミチエ)
 
 願い:引っ越ししたい。
 
 引越しで発生する全費用を帝園グループ本部が負担します。


 近重 純(コノエ ジュン)
 
 願い:忘れたい
 
 忘れたい記憶を申請後、帝園グループ本部が記憶除去処置を行います。


 高畑 義昭(タカハタ ヨシアキ)
 
 願い:ライトセーバーが欲しい
 
 使用されていたライトセーバーを寄与します。


 田中 瑠伊(タナカ ルイ)
 
 願い:おまえ100まで、わしゃ99まで
 
 本人及び配偶者の健康管理、健康診断を帝園グループ本部が一生涯保証致します。


 中居 智子(ナカイ トモコ)
 
 願い:流氷にのりたい。
 
 流氷に乗るための旅費、及び全サポートを帝園グループ本部が保証致します。


 野々村 杏(ノノムラ アン)
 
 願い:元彼とよりを戻すこと。
 
 既に願いが叶っていると判断し、お二人が結婚される場合には全費用を帝園グループが負担します。


 長谷川 琉々(ハセガワ ルル)
 
 願い:瞬間移動
 
 帝園グループ本部が研究開発を進めているワープ装置の実験参加を認めます。


 森本 麻里子(モリモト マリコ)
 
 願い:全身サイボーグ化
 
 帝園グループ本部による、サイボーグ化改造手術を受ける権利を認めます。


 三好 信彦(ミヨシ ノブヒコ)
 
 願い:一生遊んで暮らせるお金
 
 一千億円を指定口座に振込ます。※仮に足りなくなった場合に再度申請することが可能です。


 ×× 爽太(** ソウタ)※ミョウジ ニュウリョク ナシ
 
 願い:出世したい
 
 辞令、四月一日より右の者、帝園グループ本部、第二実働部隊への異動を命じる。


 以上。



   ◇



 To Be Continued






 ハコニワノベル最終章 第一部「スラッシュ/ゲーム」 完



≪/66へ

第10回ハコニワノベルのあとがき 01


エッセイ

 400字詰め原稿用紙で892枚分になりました。
 第10回ハコニワノベルが、どうにか完結しました。その01。な話。

まずは、感謝を


今回で第10回目となったハコニワノベルですが
前回が執筆開始から完結までに約一年二ヶ月かかってしまったので
コンスタントに更新して、完結するという大前提がひとつありました。

結果として、2009/12/22~2010/04/17までのおよそ四ヶ月で
全67話を更新し、完結まで辿り着けたので
なんとか、大前提は達成はできたかなと思っています。

仕事が忙しくなって、更新間隔が開いてしまった時期もありましたが
終始、モチベーションが高い位置にあったのが、完結まで持ってこれた最大の理由です。

前回、グダグダと完結しないし、ハコニワ中に他の記事を更新しないという
自分ルールがあるため(要は記事番号を連番にしたいだけなんですけども)
ブログ自体も過疎ってしまって、繋がりのあったブロガーさんやら知り合いの方とも
徐々に疎遠になっていたので、実のところ、今回は誰も読まないんじゃないかと思ってました。

幸いにも、キーワード募集時に、十二名の方にキーワードを頂いて
連載中もコメントや、Twitterで反応してもらえて、励ましてもらえたのが
完結に至ったモチベーションの維持に繋がりました。

基本的に、ブログ関連で執筆中は、他のことに手を出さないようにしているのですが
自分勝手に何かしておいて、コメントやらTwitterでつぶやいてもらってるのは
よろしくないなと思ったりしたので、四月中に思い出を75個記事にする
「思い出75」(発起人の番長さんとこ)に、飛び入りで参加することにしました。

その繋がりから、しばらく疎遠だった方や
名前だけは聞いたことあるぞ的な人とも
新たに繋がりが出来て、非常に有意義なネットワークになっています。
これも、ネットで何かをすることに対するモチベーションアップになりました。
非常にありがたいことです。

そんなあれこれを含めまして
キーワードを頂いた皆さん、それから読んで頂いた皆さん
ハコニワは読んでないけど、最近しのめんと絡んでくれちゃってる皆さん
どもども、ありがとーごじゃーます。


そんなこんなで完結させた第10回ハコニワノベルは
「スラッシュ/ゲーム」といいます。


自分でも驚くほど長い長い物語になってしまいました。
ネタバレを大いに含む内容を書くと思うので、久しぶりに続きに書きます。

※もしも、まだ読んでる最中だという方は閲覧注意!(どれぐらいいるのか不明だけど)

第10回ハコニワノベルのあとがき 02


エッセイ

ネタバレを含むので続きに書きます





※以下、盛大にネタバレしていきますので、読んでない人はご注意!


ガンリキの巻


エッセイ

缶詰を開けるアレのことじゃなくて、ポケモンのアレでもない。
もちろん、難波金融伝・ミナミの帝王主演のあの人の話しでもない。

ただ、黙ってくれればいいんだよ。


 今現在、やれイケメンだイケメンだと言われ続けて困っています。どうやら、”し”んじられないほど男前で、”の”っぴきならない魅力のイケ”メン”というものが略されて、しのめん、しのめんと呼ばれているらしいのですが、昔からこうだったわけじゃないんです。
 あれは小学三年生の頃ですか、ほら成長期っていいますでしょ? もうご飯が美味しくて美味しくて仕方がない! といった心持ちでモリモリと食べ、ブクブクと太ったんです。要するにデブになったわけなんですが、まぁ小学生の頃はまだいいんです。なぜなら、周りが人間扱いしてくれるから。しかし、中学生になるとそうもいかなくなるんですよ。いわゆる思春期が訪れるとですね、自分の中で許せないもの、受け入れられないものに対して、拒絶反応みたく嫌悪感を持つんですよね。そして多くの人がそのカテゴライズに入れるのがデブなんですよ。もうね、そこにカテゴライズされちゃうと人間として扱ってもらえなくなるんです。それはもう想像を絶する罵られ方をするんですよ。やれデブだの、やれブタだの、気持ち悪いだの、汚いだのなんだのと、そっち方面のスキルがある人にはたまらないのかもしれませんけど、当時の自分からしたら苦痛以外の何ものでもない。
 それでも学校は楽しいところでした。確かに数人からは人間として扱われない状況だったんですけど、仲の良い友人がいたので。彼らからはちゃんと名前で呼んでもらえてたし、一緒に遊んだりもしてましたからね。そんな中で安心して、更にモリモリ食べて、ブクブク太っていったんですけど、ある日状況が変わったんですよ。
 あれは中学一年の秋だったかな、朝教室に入って「おはよー」とか言ったんです。今までであれば、数人から挨拶が返ってきたのに、その日に限っては誰も返してくれないんです。教室内には仲の良い友人もいたというのに、あれ? もしかして聞こえなかった? とか思って再度「おはよー」と言いました。それでも、間違いなく聞こえているはずなのに挨拶は返ってこない。なんか変だなーと思ってたら、教室の一角からクスクスという笑い声が聞こえたんです。その方向を見たら普段から私を罵っていた女子三人組がいました。リーダーは身長は低いくせに乳がデカイ子で、もう一人は背が高くモデル体型なのに顔が残念な子、最後の一人は全体的に中途半端な子なんですけど、私が視線をその三人組の方へ向けると、不自然に視線を逸らすんですよ。これでピンときたんです。この三人組が主導して、私は今イジメを受けてるんだなって。
 無視。まぁ、イジメの中ではオーソドックスなものなので、別に大した苦痛にはなりませんでした。仲の良かった友人たちが、そのイジメに加わってるといった精神的な揺さぶりがあって、軽く人間不信になったぐらいですから、ほんと大したことない。そのままクラス中から無視されるんですけど、毎日学校には登校してまして、それがあの三人組には面白くなかったらしく、日に日に罵られ方が酷くなってきたんですよ。物を投げられたり、隠されたり、終いには壊されたり。そうなってくると、徐々に学校に行くのが面白くなくなってしまう。しかし、あの三人組にいいようにやられてることが腹立たしくなってきて、どうにか一矢報いてやる方法はないかと模索したんです。
 最初は因果応報で、三人組を無視してみたりしたんですが、元々無視されてるし相手にされていないので無意味に終りました。実力行使、つまり力で復讐するなんてことも考えたりしましたが、三対一で逆にやられてしまいそうなので却下。あとどんな状況であれ、女性に手をあげるなんてできないです。
 そんなこんなや、アレやコレやと考えて最終的に辿り着いたのは、イジメを終わらせてやることが三人組にとって一番悔しいんじゃないか、そう考え付いたんです。そこからはもう早いですよ。別にみんながみんなイジメをしたいわけじゃなくて、なまじクラス内で力を持っていた三人組に逆らえないだとか、面倒事に関わりたくないっていう人がほとんどだったわけですから、このイジメを終わらせる方法は簡単に思い付きました。それはズバリ、みんなが無視できないようにすればいいってこと。
 それに気が付いた翌日、朝一番早く学校に登校してクラスメイトを教室で待ち構えたんです。そして教室に入ってきたクラスメイトたちに叫ぶような大声で挨拶ですよ。これで聞こえなかったということはなくなります。しかし、普通の挨拶じゃ誰も返してくれないですからね、オリジナリティ溢れる挨拶が必要なんです。だからね、私は大声で挨拶しましたよ「パンダ!」って。
 今更ながらなぜに「パンダ!」という三文字を挨拶にしたのか思い出せないんですが、最初に教室に入ってきたクラスメイトは、大声とその挨拶に驚いて「パ、パンダ」と挨拶(?)を返してくれたんですよ。その勢いのまま、どんどん続けてクラスメイトに「パンダ! パンダ!」と言っていたら、仲の良かった友人たちは「なんだよパンダってw」とか話しかけてくれましてね、その日のうちにクラス中から無視されなくなりました。
 それに苛立った例の三人組は、露骨に私を無視し続けていたんですが、なぜかそこで、最後にこの三人組も無視できないようにしてやれば、私の完全勝利だなと思ったんです。思わなくてよかったのに。私は視線を向けるといつも決まって視線を逸らす三人組から、ずっと視線を逸らさずに見続けたんです。心の中では「ザマーミロ!」とか思いながら見る。いや、睨みつけてたんです。そのままかなり長時間睨みつけてたらですね、その三人組のリーダーであるチビ巨乳が口を開いたんです。ついに根負けして謝罪かなとか思ったんですけど、その口から発せられた言葉に耳を疑いましたね。

「あんたさ、私のこと好きなんでしょ? 前から気付いてたけど。悪いけどさ、あり得ないわ」

 今だったらありとあらゆる暴言を、思春期真っ只中の女子が一生立ち直れないような言葉を、大量にかつ的確に言って差し上げることができるんですが、悲しいかな当時の私はまだ若い。もうね、殺意の念を込めて睨むしかできなかった。そしたらですね、更にチビ巨乳が口を開いたんです。

「未練がましくこっち見ないで。気持ち悪い……」

 だってよ。
 ほんとがっかりした、自分の眼力に。




パンダー! パンダー!

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